くちびるに歌を(うたひめ連作)
インタビューの依頼が来てるけど、と青海(オウミ)が言った。
ちいさな部屋のなか、モニタをにらみつけるようにひたすらデータをうちこんでいる倉石(クライシ)と、青海がもってきたあたらしいアレンジメントに夢中の恵那(エナ)ははじめっから人の話など聞いてはいない。私も、ゆうべろくに眠れなくてビーンバッグにしずみこんでぼんやりしていたところで、青海のひくい声は伴奏くらいにしかとらえていなかった。
だれも答えないのにじれて、青海はもういちどいった。
「あのさあ、インタビューしたいんだって。新人なんとかの特集で。だれが矢面たつの」
青海の頭のなかには断るということばは存在しないらしい。私と目があうと、たのむよ総指揮者さん、とくちびるをとがらせる。
「あんたがやれば」
「冗談」
やっぱこういうのはリーダーさんがやんないと、とわらう。じゃんけんで決めたリーダーは雑用係の同義語だ。こんなこと、ほんとうなら弁の立つ恵那にやらせたいところだけれど、気がむかなけりゃひとことだって口をきかない子のごきげんを取るのもそんなにやさしい仕事ではない。
「わかったわよ」
私は言って、話をおわりにした。
ヴォチェ・なんとかいう雑誌のインタビュアは長い髪をばさばさふりたててななめにこちらを見あげてくる小柄な女のひとだった。発音がはっきりしないうえに早口なものだから、おなじことをいくども聞きかえしてしまう。国立大学出の女四人のアカペラグループ。そんな外がわの情報にそぐう答をえるための質問を重ねてくる。
「じゃあ高良(タカラ)さんは本格的に音楽はじめたのは大学はいってからなんですか」
「本格的っていうか‥‥まあ、ひと前で歌うようになったのは大学からです」
「ほかのみなさんは」
インタビュアが倉石のほうを見るけれど、倉石はまったく気にとめていないふうにコーヒーカップのはしを、リズムをつけて指さきでたたいている。恵那がそれにじっと見いっていて、ふたりはすっかりじぶんたちの世界をつくってしまっている。きっとふたりであたらしい曲でもつくっているんだろう。いちおうは並んですわっていても、今回は私が答える役だから、じぶんたちはひとことも口をひらこうなんて思っていないにきまっている。しかたなく、
「倉石は私とおなじ高校でいっしょに演劇部にいて、音楽に関してはどっちもしろうとです。恵那もこどものころにちょっとピアノやってたくらいで。青海だけは教会学校で聖歌隊にはいってたんで、ちっちゃいころから歌ってたって話ですけど」
うんうんとインタビュアがうなずく。机のうえでまわっているカセットテープが、ときおりきるる、と気になる音をたてる。
「それで、みなさんが出会ったきっかけっていうのが研究発表だっていう話なんですけど」
そんなこと聞かないでと私は思う。いままでにいくども聞かれて、聞かれすぎてすっかり答もできあがっている、そんな質問に、おなじ答を聞くためにわざわざおたがいの時間をつぶしている。
「ええ、青海は音楽療法にずっと興味をもっていて、そこへたまたま私が、私児童心理やってたんですけど、親の声が乳児に与える影響を研究していて、それで一緒に人間の声のインパクトなんて話でもりあがってサークル作っちゃったんです。ひとの耳にもっとも心地よい声を考える会、みたいな感じで」
ほんとうは正式に研究していたわけではない。ただの音楽サークルだ。もっともらしいあとづけの理由で病院訪問などしていたものの、青海は歌えていればよかったのだし、倉石は分析魔で、私たちが持ちよったデータとそれぞれの声域をもとに何曲かサンプルをつくってそのまま作曲にめざめてしまったくちだ。恵那にいたっては低音部のカバーが必要で青海がひっぱってきた経済学部の子で、そもそもまったく研究などとはかかわりがない。けれど、大学にからめた答をインタビュアがもとめていることくらいわかっている。倉石の曲のつくりかたがいわゆる作曲を勉強しているひととはちがうからといって、分析音楽、ヒューマン・ヴォイス・アナライズドとかいうわけのわからない呼ばれかたをされている私たちは、音楽そのものが目的になっているグループやなにかから見るとどうやら変わり種らしい。音楽であることにかわりはないのに。
やたらにうなずくインタビュアのつむじを見ながら、私は、きっとこのひと私たちの歌をきいたことないんだろうな、と考えた。インタビューの必要からすこしはきいているかもしれないが、さっきから、うたそのものに関する質問がほとんどでていない。はじめたきっかけとかグループ名の由来とか、そんなどうでもいいことばかり聞いてくる。
倉石の指がちがうリズムをきざみはじめる。恵那が足下でタップをふむ。ゆっくりしたテンポは、インタビュアの口調とはまったく切りはなされたところで、ふたりにしか聞こえない曲をきいている。そんなふたりをインタビュアがちらちら見ながら、なんとかふたりにも答えさせようとして、私の答のあとに、恵那さんは、とか倉石さんは、とか言うのだけれど、ふたりの耳にはとどかない。青海はポーカーフェイスをくずさないけど、きっとふたりのきざむリズムをなんとかして知ろうとして、私とおなじようにやきもきしているにちがいない。
うたわせてよ、とふいに私は思う。こんなところでこんなことをして歌っていない時間をおくるのではなくて、うたわせてよ。倉石。あんたの頭のなかにあるリズムとメロディをこっちにももってきて。うたっている私たちがほんとうなんだから。うたっていない私たちは、たしかにこのインタビュアのもとめているような、ただの四人の女の子でしかないんだから。
「それで」
インタビュアのことばに私はもちあげかけていたカップをソーサーにもどす、それがすこしらんぼうにすぎて、かちんとおおきな音をたてる。インタビュアが目をまるくする。すみませんと言うと、いえ、とすこし鼻白んだ表情になる。
「それで、これからの目標っていうのか、こういうことをやってみたいとかありますか」
ああ、やっとおわりだな、と私は思う。やっと解放される。
「やっぱりじぶんたちの声がどこまでゆけるのか知りたいですね。そもそもの目的ですけど、ひとの声ってものにどれだけの力があって、どれだけの力をひきだせるか、聞いてくれているひとたちの世界をどこまでひろげて、どこまでひっくりかえせるか。声がいちばん力をもつのがうただと思っているんで、うたの力っていうより、うたわれる声の力っていうんですか、それを知りたいです」
これもいつもの答、たぶんインタビュアにもっとも求められている、あまり『歌い手』らしくない答がさらさらと私からながれおちてゆく。それをひろうのはインタビュアではなくカセットテープで、それは私たちのメッセージを十分の一もつたえないかもしれない。そんなことにも、もう慣れてしまった。
けっきょく私たちはうたえていればいいのだから。
うたわせてよ。それだけ。
「長かったあ」
恵那がのびをして倉石に、ねえと同意をもとめる。倉石が、
「へへへ、みっつつくっちゃった」
と答える。どんなの? とたずねると、
「スローな小鳥とみどりの草原とそれから今日のインタビュア」
と、倉石本人にしか理解できないタイトルをならべる。やってみてよと恵那がいうと、まってましたとばかりに倉石が手先でリズムをとってメロディをつむぎはじめる。しばらくきいていた恵那がそれに即興でハーモニーをつけて、うたがはじまる。うたが生まれて、あたりに満ちる。
倉石の中高音と恵那の低音はとてもよくからんで、声質がにていてまるでひとりの声がふたつの音をうたっているような気にさせられる。青海はそれをじっとききながら、きっと頭のなかでメモをとっている。私たちはこうやって、うたを媒介にしてひとつの声になる、きっとそれはあのインタビュアの求めている答ではない。私ひとりが答えていたのもつまりはだれが答えてもおなじだということを、きっとあのインタビュアはわからない。私たちがひとつの声でしかないということ、ひとつのうたでしかないこと、そうして、だからこそうたのないところでの私たちに意味のないことは、うたのないところでインタビューをしてそれを記事にまとめようとしているひとたちにはわからない。それでいいと私は思う。うたをきいてくれるひとがいる、それだけでいい。わからないひともいていいと思う。
今日のインタビュアと名づけたメロディをうたいはじめた倉石の、そのどこかしらテンポのずれた曲に私が茶々を入れる。おとなしくハーモニーをつけたりしない。私のうたをうたいはじめて、まったくべつのうたをうたいはじめて、強引にからませる。にやりと恵那がわらって倉石のサポートにまわると、青海が私のがわにつく。こういう、けんかとまではいかないこわれぎみのかけあいもおもしろいな、と私はおもう。きれいにまとまっているうたばかりでもつまらない。一曲か二曲、こんなふうにとぼけたものがはいると全体のふんいきがぐっとやわらぐ。
小声とはいえ道端でいきなりうたいだした私たちに、きっと注目があつまっている。そんなこと気にもかけないで私たちはうたをころがしてひろげてゆく。どうせ私たちの顔など、よほどのマニアでないかぎり知りもしない。だからこんなに人通りのおおいところで私たちは好きなだけうたっていられる。通りすがりのひとりでも足をとめて、ほんのいっときでもきいていってくれれば、それが私たちのうただ。
帰ったら、わすれないうちに楽譜におとさないとと私は思う。ひとつめとこれとはものになりそうだ。だれに詩を書かせよう。
またじゃんけんかな。
ちいさな部屋のなか、モニタをにらみつけるようにひたすらデータをうちこんでいる倉石(クライシ)と、青海がもってきたあたらしいアレンジメントに夢中の恵那(エナ)ははじめっから人の話など聞いてはいない。私も、ゆうべろくに眠れなくてビーンバッグにしずみこんでぼんやりしていたところで、青海のひくい声は伴奏くらいにしかとらえていなかった。
だれも答えないのにじれて、青海はもういちどいった。
「あのさあ、インタビューしたいんだって。新人なんとかの特集で。だれが矢面たつの」
青海の頭のなかには断るということばは存在しないらしい。私と目があうと、たのむよ総指揮者さん、とくちびるをとがらせる。
「あんたがやれば」
「冗談」
やっぱこういうのはリーダーさんがやんないと、とわらう。じゃんけんで決めたリーダーは雑用係の同義語だ。こんなこと、ほんとうなら弁の立つ恵那にやらせたいところだけれど、気がむかなけりゃひとことだって口をきかない子のごきげんを取るのもそんなにやさしい仕事ではない。
「わかったわよ」
私は言って、話をおわりにした。
ヴォチェ・なんとかいう雑誌のインタビュアは長い髪をばさばさふりたててななめにこちらを見あげてくる小柄な女のひとだった。発音がはっきりしないうえに早口なものだから、おなじことをいくども聞きかえしてしまう。国立大学出の女四人のアカペラグループ。そんな外がわの情報にそぐう答をえるための質問を重ねてくる。
「じゃあ高良(タカラ)さんは本格的に音楽はじめたのは大学はいってからなんですか」
「本格的っていうか‥‥まあ、ひと前で歌うようになったのは大学からです」
「ほかのみなさんは」
インタビュアが倉石のほうを見るけれど、倉石はまったく気にとめていないふうにコーヒーカップのはしを、リズムをつけて指さきでたたいている。恵那がそれにじっと見いっていて、ふたりはすっかりじぶんたちの世界をつくってしまっている。きっとふたりであたらしい曲でもつくっているんだろう。いちおうは並んですわっていても、今回は私が答える役だから、じぶんたちはひとことも口をひらこうなんて思っていないにきまっている。しかたなく、
「倉石は私とおなじ高校でいっしょに演劇部にいて、音楽に関してはどっちもしろうとです。恵那もこどものころにちょっとピアノやってたくらいで。青海だけは教会学校で聖歌隊にはいってたんで、ちっちゃいころから歌ってたって話ですけど」
うんうんとインタビュアがうなずく。机のうえでまわっているカセットテープが、ときおりきるる、と気になる音をたてる。
「それで、みなさんが出会ったきっかけっていうのが研究発表だっていう話なんですけど」
そんなこと聞かないでと私は思う。いままでにいくども聞かれて、聞かれすぎてすっかり答もできあがっている、そんな質問に、おなじ答を聞くためにわざわざおたがいの時間をつぶしている。
「ええ、青海は音楽療法にずっと興味をもっていて、そこへたまたま私が、私児童心理やってたんですけど、親の声が乳児に与える影響を研究していて、それで一緒に人間の声のインパクトなんて話でもりあがってサークル作っちゃったんです。ひとの耳にもっとも心地よい声を考える会、みたいな感じで」
ほんとうは正式に研究していたわけではない。ただの音楽サークルだ。もっともらしいあとづけの理由で病院訪問などしていたものの、青海は歌えていればよかったのだし、倉石は分析魔で、私たちが持ちよったデータとそれぞれの声域をもとに何曲かサンプルをつくってそのまま作曲にめざめてしまったくちだ。恵那にいたっては低音部のカバーが必要で青海がひっぱってきた経済学部の子で、そもそもまったく研究などとはかかわりがない。けれど、大学にからめた答をインタビュアがもとめていることくらいわかっている。倉石の曲のつくりかたがいわゆる作曲を勉強しているひととはちがうからといって、分析音楽、ヒューマン・ヴォイス・アナライズドとかいうわけのわからない呼ばれかたをされている私たちは、音楽そのものが目的になっているグループやなにかから見るとどうやら変わり種らしい。音楽であることにかわりはないのに。
やたらにうなずくインタビュアのつむじを見ながら、私は、きっとこのひと私たちの歌をきいたことないんだろうな、と考えた。インタビューの必要からすこしはきいているかもしれないが、さっきから、うたそのものに関する質問がほとんどでていない。はじめたきっかけとかグループ名の由来とか、そんなどうでもいいことばかり聞いてくる。
倉石の指がちがうリズムをきざみはじめる。恵那が足下でタップをふむ。ゆっくりしたテンポは、インタビュアの口調とはまったく切りはなされたところで、ふたりにしか聞こえない曲をきいている。そんなふたりをインタビュアがちらちら見ながら、なんとかふたりにも答えさせようとして、私の答のあとに、恵那さんは、とか倉石さんは、とか言うのだけれど、ふたりの耳にはとどかない。青海はポーカーフェイスをくずさないけど、きっとふたりのきざむリズムをなんとかして知ろうとして、私とおなじようにやきもきしているにちがいない。
うたわせてよ、とふいに私は思う。こんなところでこんなことをして歌っていない時間をおくるのではなくて、うたわせてよ。倉石。あんたの頭のなかにあるリズムとメロディをこっちにももってきて。うたっている私たちがほんとうなんだから。うたっていない私たちは、たしかにこのインタビュアのもとめているような、ただの四人の女の子でしかないんだから。
「それで」
インタビュアのことばに私はもちあげかけていたカップをソーサーにもどす、それがすこしらんぼうにすぎて、かちんとおおきな音をたてる。インタビュアが目をまるくする。すみませんと言うと、いえ、とすこし鼻白んだ表情になる。
「それで、これからの目標っていうのか、こういうことをやってみたいとかありますか」
ああ、やっとおわりだな、と私は思う。やっと解放される。
「やっぱりじぶんたちの声がどこまでゆけるのか知りたいですね。そもそもの目的ですけど、ひとの声ってものにどれだけの力があって、どれだけの力をひきだせるか、聞いてくれているひとたちの世界をどこまでひろげて、どこまでひっくりかえせるか。声がいちばん力をもつのがうただと思っているんで、うたの力っていうより、うたわれる声の力っていうんですか、それを知りたいです」
これもいつもの答、たぶんインタビュアにもっとも求められている、あまり『歌い手』らしくない答がさらさらと私からながれおちてゆく。それをひろうのはインタビュアではなくカセットテープで、それは私たちのメッセージを十分の一もつたえないかもしれない。そんなことにも、もう慣れてしまった。
けっきょく私たちはうたえていればいいのだから。
うたわせてよ。それだけ。
「長かったあ」
恵那がのびをして倉石に、ねえと同意をもとめる。倉石が、
「へへへ、みっつつくっちゃった」
と答える。どんなの? とたずねると、
「スローな小鳥とみどりの草原とそれから今日のインタビュア」
と、倉石本人にしか理解できないタイトルをならべる。やってみてよと恵那がいうと、まってましたとばかりに倉石が手先でリズムをとってメロディをつむぎはじめる。しばらくきいていた恵那がそれに即興でハーモニーをつけて、うたがはじまる。うたが生まれて、あたりに満ちる。
倉石の中高音と恵那の低音はとてもよくからんで、声質がにていてまるでひとりの声がふたつの音をうたっているような気にさせられる。青海はそれをじっとききながら、きっと頭のなかでメモをとっている。私たちはこうやって、うたを媒介にしてひとつの声になる、きっとそれはあのインタビュアの求めている答ではない。私ひとりが答えていたのもつまりはだれが答えてもおなじだということを、きっとあのインタビュアはわからない。私たちがひとつの声でしかないということ、ひとつのうたでしかないこと、そうして、だからこそうたのないところでの私たちに意味のないことは、うたのないところでインタビューをしてそれを記事にまとめようとしているひとたちにはわからない。それでいいと私は思う。うたをきいてくれるひとがいる、それだけでいい。わからないひともいていいと思う。
今日のインタビュアと名づけたメロディをうたいはじめた倉石の、そのどこかしらテンポのずれた曲に私が茶々を入れる。おとなしくハーモニーをつけたりしない。私のうたをうたいはじめて、まったくべつのうたをうたいはじめて、強引にからませる。にやりと恵那がわらって倉石のサポートにまわると、青海が私のがわにつく。こういう、けんかとまではいかないこわれぎみのかけあいもおもしろいな、と私はおもう。きれいにまとまっているうたばかりでもつまらない。一曲か二曲、こんなふうにとぼけたものがはいると全体のふんいきがぐっとやわらぐ。
小声とはいえ道端でいきなりうたいだした私たちに、きっと注目があつまっている。そんなこと気にもかけないで私たちはうたをころがしてひろげてゆく。どうせ私たちの顔など、よほどのマニアでないかぎり知りもしない。だからこんなに人通りのおおいところで私たちは好きなだけうたっていられる。通りすがりのひとりでも足をとめて、ほんのいっときでもきいていってくれれば、それが私たちのうただ。
帰ったら、わすれないうちに楽譜におとさないとと私は思う。ひとつめとこれとはものになりそうだ。だれに詩を書かせよう。
またじゃんけんかな。
11/07/14 00:45更新 / blueblack
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