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連載小説
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邂逅(うたひめ連作)
 肩をたたかれてふりかえると、赤い髪に猫目の、見るからにバンドっぽい子が立っていた。
 いつものとおりわたしは、みんなに五、六歩おくれてのたのたと控室への廊下を歩いていた。ステージを降りた直後ってのは気分が高揚していて、どこかしら上ずっていて、うまくすると曲がまとめて天からころがりおちてきたりする。あたまのなかが旋律のかけらでいっぱいになって、わたしはそれを取りこぼさないように、ゆっくりゆっくり歩いていた。つぎの曲のとっかかりがすぐそこにあって、あと一ミリでとどくような感触があって、これはリーダーに歌わせるっかない曲なんだって、そこまでわかっていて、そんなふうに前を見ないでいたせいで、どうやら呼びとめられたのにも気づかないで、まん前を通りすぎてしまっていたらしい。顔をあげて、目をあわせて、あんまり相手がちかくにいたせいでピントを合わせるのにちょっと苦労した。なんだっけ、この子。珍妙なかっこうして、それがぴったりはまっていて。えーっと。
 そうだ、カ・ナ・エ。叶衛だ。
 平成のカリスマ、泣き叫ぶ女神、ブレイク寸前のThe Crying Goddessのボーカル。もうブレイクしているのかも。知らないけど。
 赤い髪をライオンみたいに逆立てて金茶のカラーコンタクトまで入れているのに、ちっともこっけいに見えないのは、もともとの目つきのきつさのせいかもしれない。百獣の王とはゆかないけれど、山猫くらいには見える。でもすっぴんだと、もしかしたらかわいらしい顔をしているかもしれない。
 Goddessはばりばりのハードロックで、うちのグループはノンジャンルのア・カペラで、おたがいにアマチュアでやっていたころは接点なんてあるはずもなかったのが、おなじプロダクションからデビューしたことで、すれちがえば話くらいはするようになっているんだった。そうでなけりゃ、わたしみたいに世のなかのことにうとい人間が、ぱっと名前なんて思いだせやしない。そうそう、ついこないだもおなじ番組に出たんだった。
 でも、だからってそんなに親しいわけではない。ここにいるってことはうちより先に収録が終わっていたのかもしれないけど、Goddessが出ていたかどうかなんて気にしてもいなかった。それともべつの番組だったのかも。
 そんなわたしのようすに頓着しないで叶衛はタオルを放ってよこす。
 叶衛たちのステージほどじゃないけど、それでもさっきまでライトに照らされていた額や襟には汗がにじんでいる。化粧がタオルにつかないように、髪の生えぎわをかるく押さえるだけにしておく。
 「おつかれさん」
 「ありがと。つぎだっけ?」
 いや、と首をふる。
 「あれ、じゃあ」
 「Neiro聴きにきたんだよ」
 「それは‥‥どうも」
 間のぬけた返事をよこしたわたしに、叶衛は目だけで笑ってみせた。
 大づくりの舞台ばえする顔や迫力のある低い声でごまかされてしまいがちだけれど、こうやって目のまえにいると、上背はほとんど変わらない。にっと笑った顔も、間近で見るとずいぶん幼い。
 そういやこの子、うちの妹よりも歳下だったんだっけ。ふいに思いだす。デビューするんで高校中退してどうのこうのって、とするといま十八とかそんなもん? うわあ私たち完全に負けてるよねえってリーダーが笑ってた。
 なにが負けてるって言ってたんだっけ。話半分に聞いていたから。ビデオクリップ観ながらリーダー、ためいきついてうれしそうに笑ってたんだ。勝てないわよねって、あれだけ負けずぎらいのリーダーが。なんだったっけ。猫みたいな顔をじっと見る。猫がくすっと笑った。
 「おかしい? アタシが聴きにきたら」
 そんなことはないけど。答えながら、のばされた手にタオルを渡す。わーい、Neiroのクライシの汗ふいたタオル、おどけて叶衛がタオルにキスしてみせる。なに言ってんの、と返す。ファンが見たら泣くよ。そっちだってカルトマニア受けしてるっしょ、いいなあ、うちのファンってミーハーだもん。Neiroったら玄人ごのみって話だもんね。
 「こないだのアルバムさあ」
 え、と聞きかえすと、叶衛がくりかえす。こないだのアルバム。聴いたよ。
 「ラストから二曲目、あれすっごい気にいったんだけど。あれ何語?」
 「ああ、あれは‥‥でたらめ」
 ふうん? くちびるのはじが引かれる。目だけでなく、顔全体が、獲物をみつけた猫の表情になる。カラーコンタクトがきらきら光る。きれいな子だ。ステージを降りても光っている。こういう子のことをスターっていうんだろうと思う。わたしたちとちがって、Goddessは売れるバンドだ。音は知らないけど、叶衛って子がいるだけでそのことが確信できる。この子は顔もからだも声も、どんな角度から見られても光っている。
 「でたらめ? コトバすっごいよかったよ。早口言葉みたいなんだけど、いつまでも耳にのこって」
 「あれはスキャットみたいな感じでやろうって、口先だけで発音できる音くみあわせていかにも意味あるっぽい歌詞したてあげたんだ。うちのリーダー、そういうの好きだから」
 「あ、じゃあタカラさんのオリジナル?」
 そのときの声で、叶衛の目あてがわたしじゃなかったのがわかった。そういやリーダー、なぜだか女の子にばっかりもてるってぼやいてたっけ。タオルも、きっとリーダーに渡したかったんだろうな。かわいいとこあるんだ。なるほど。
 口もとがゆるんでいたんだろうか、叶衛がまゆをよせた。あわててことばをつぐ。
 「基本の発音はね。あとは歌いながらてきとうに変化つけて」
 そっかー。目がほそくなって、まるっきり子どもの口のききかたになる。歌詞カード見てもあれだけなんも書いてなくってさ、しかたないから必死で覚えたんだよ。リフんとこだけ。こんどタカラさんに歌詞もらってよ。アタシおぼえるからさ。んでいっしょにやろうよ。うちの"la pieta"タカラさんに歌ってもらって、んでアタシあれやりたい。
 喉をならしてじゃれかかってくる。餌入のまえでおねだりする猫だ。
 やっぱり猫だ。じゃれついてくる、その爪がどれだけするどいか、本人は気づいていない。じぶんの声が、どれほどの威力をもっているのかまだ知らない。
 その牙をもった、その紅い口がどんな歌をうたうのか。
 聴いてみたくなった。
 「歌ってみなよ」
 「え?」
 「リフだけでいい。わたし下つけるから――リーダーのパート、できるんでしょ?」

 わたしはこれまでに、歌が好きだとか、うまいとか、考えたこともなかった。じぶんのことはもちろん、だれのことも。歌なんて、わたしにはただの人間の声で、楽器のひとつにしかすぎない。ただ歌い手によっても唱法によっても音色がいろいろ変わるのがおもしろくて、リーダーにさそわれたときも、はじめは作曲での参加だけのつもりだった。じぶんがひろった音を人間の声が歌に変換するのがおもしろくて、そのうちじぶんでも歌うようになってしまったけれど、歌そのものがどうとか思うことはなかった。さいわいにもうちのグループはあんまり感情を歌わないから、ハーモニーとか音階実験みたいな曲をたくさんやるから、だからわたしみたいにただ音を出すだけみたいな歌いかたでも、かえってそれが新鮮だなんて言われて、メロディアスでありながらセンティメンタルではないわたしたちの歌は、イロモノあつかいでメディアに取りあげられたりした。
 けれど、この子はちがう。それはすぐにわかった。
 口をひらいて、はじめの音をきいたとき、それだけで、もうその歌は叶衛の声だった。意味のないはずの歌詞が叶衛の思いだか叶衛の心だか、とにかく叶衛ってものをつたえてきた。ほんの十二小節ほどの音符のつらなりが、叶衛のくちびるからもういちど編まれてあたらしく流れでてきたそれは、もう、Neiroの四人の曲ではなくて、ひとりの叶衛の声になっていた。ハーモニーをつけていたはずのわたしは、ただの伴奏になっていた。

 勝てないよ。
 リーダーの笑みを思いだした。
 あの子みたいな、ひとりっきりで立っていて、ひとりっきりで歌うつよさは私にはないのよね。
 巻きこんでわるかったけど。でもあきらめてね。私はもう、四人での声しかじぶんの声だと思えなくなっちゃってるのよ。

 「叶衛」
 なに、と猫目がこちらを見る。
 「あんた本気でリーダーと歌いたい?」
 「え?」
 「本気でやりたいんなら、こんどのアルバムにおいで」
 え、え? 猫目が泳ぐ。
 「叶衛の声、気にいった。こんどのアルバムに使いたい。リーダーとからめて。楽器はいらない。叶衛の声だけ。それでいいならおいで。二曲‥‥三曲つくったげる。歌詞はリーダーにあれ書かせる、あの路線でもっと攻撃的なやつ作ろう」
 「ちょ、ちょっと、待ってよ」
 そんなこと勝手に決めらんないって、タカラさんとかの都合だって。
 「曲はわたしがつくるんだから、リーダーは歌うだけのひとだから。わたしが言えばやるよ。それにリーダー、叶衛のことほめてた」
 「え、いつ」
 「いつか忘れた。けど叶衛の声は叶衛だけの声だって」

 「おそかったわね。のどかわいたでしょ」
 控室にもどると、リーダーが飛んできて缶ジュースをにぎらせた。
 「どこへ行ったのかってみんなでさわいでたのよ」
 クライシすぐに迷子になるから。リーダーが笑う。笑いながら言う。
 でね、いまちょっと打ちあわせしてたのよ。こないだ言ってた曲だけど。あれをね、どう合わせようかって。
 「あれやめた」
 「え」
 「やめた。べつのやる。リーダー歌詞かいて」
 「ちょっとクライシ」
 「べつのって」
 「もうできてる。歌い手もつかまえた」
 「歌い手?」
 「Goddessのボーカル。さっき廊下で会って、リーダーのことべたぼめしてたから誘ったら来るって」
 「ちょっとちょっとちょっと待ちなさいよ、クライシいつのまに話まとめちゃったのよ、それに第一あの子ツアーがあるからそれはずしてやんないと」
 「でも来るって言った」
 「言ったってねえ」
 「つぎのは叶衛としかやらせない。叶衛とリーダーだけ。わたしたちはバックコーラス。それで三曲。組曲にする。もう決めた」
 リーダーが口をぱくぱくさせているうしろで、あとの二人がにやにやしている。でもわたしは、なにもまちがったことは言っていない。つぎのアルバムはもう叶衛がいないとできあがらない。曲をつくるのはわたしだ。歌詞はリーダーだけど、うちはいつも曲が先行だから。声が先行だから。そして声は、今回は叶衛をつかう。もう決めた。
 「叶衛がいいって言うのなら、そりゃ‥‥こっちはもちろん大歓迎だけど」
 むこうさんにはメリットのない話よねえ、とリーダーがためいきをつく、その語尾はあきらめをふくんでいる。戦略とか上との交渉とか、そういうことはリーダーの仕事だ。
 Goddessは叶衛人気のバンドだから、ソロ活動よろこばないのよ、それも三曲ともなるとねえ。
 「まいったなあ、クライシ、一曲まからない?」
 「三曲。もうできてる‥‥あっ」
 いきなり大声をあげたわたしにリーダーが目をまるくする。
 「もう一曲、いける。できる、いや、もっといける。今回アルバムまるごとふたりでやろう、叶衛とリーダーで‥‥フルアルバムでなくていい、一曲目だけ四人でやって、それからふたりが出会って、ずっとふたりで歌って、で最後に五人で‥‥できた、はじめからおわりまで。そういうので作ろう。フルアルバムでもいい。できる」
 かんべんしてよとリーダーが机につっぷす、そんなの気にもかけないで、わたしは手にとどいたばかりのメロディをひきよせて、まとめて、みんなに聴かせて、納得させる。納得しないわけがない。  「もうきめた。できた」
 クライシい、とリーダーの声。その声に叶衛の声がかぶさってわたしには聞こえてくる。ふたりの声がからまって曲になってひびいてくる。
 「つぎのアルバム、売れるよ」
 わたしは宣言する。それは、もうわかっていることだから。
11/07/14 00:46更新 / blueblack
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