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読切小説
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チクタクわにさん
 りさは、チクタクわにさんのぬいぐるみをもっています。いつもいっしょにいるわけではないけれど、部屋にもどればいつも、つくりつけの本棚の二段めにおいてあるそのぬいぐるみは、いつも抱えてそのぷくんとふくれたおなかに顔をちかづければ、タオル地のむこう、つめもののパンヤのおくのほうでチクタク、チクタクとくぐもった音のするのが聞こえる、それはとてもやわらかい、りさのだいすきなぬいぐるみです。
 チクタクわにさんというのは、懐中時計をのみこんでしまったわにさんです。背丈は、りさのひじからゆびのさきくらいまであります。そんなに大きくなくって、抱くと両手があまってしまうのだけれど、でもタオル地なので手ざわりはとってもよくて、それに懐中時計をのんでいるぶん、ふつうのぬいぐるみよりすこしばかり重いようで、そんなところもりさは気にいっています。
 りさはよくベッドのうえでチクタクわにさんを抱いて、そのまま壁によっかかります。そうしてわにさんを壁におしつけてわにさんごと壁によっかかっていると、壁にではなくて、わにさんによっかかっているみたいで気もちがいいからです。ときどきそのままねむってしまうくらいに気もちがいいのです。
 チクタクわにさんは、ふるいぬいぐるみなので、からだがちょっとうすよごれてきています。でも時計がなかにはいっているから洗えません。そうでなかったらじゃぶじゃぶ洗って、そうしたらきっともとのとおりの、りさがおぼえているとおりのあざやかな、とてもきれいな色になるでしょう。でもいまはなんとなくぼんやりした色になってしまっています。せなかは青とみどりのあいだくらいの色で、おなかは白です。ちょっと灰色っぽくなってきているけど、もとは白です。まあるい大きな目は白いフェルトをまるく切ってぬいつけたうえから黒い糸でめだまをししゅうしてあって、だからいつもひらいたままです。いつもひらいていて、いつもりさを見ています。ひじからゆびのさきくらいまでのわにさんのからだの、その半分ほどが、ぱっくりさけている、いつも大きくひらいているわにさんの口です。口のうちがわにはピンクの布がはってあって、そのふちには白い牙がぐるりとぬいつけてあります。牙のひとつひとつはりさのおやゆびの爪よりもちょっとおおきいくらいの三角に切ったフェルトです。手と足のつめもおなじくらいの大きさで、でも牙よりちょっと長い三角です。わにさんの手と足はばんざいをしているみたいにからだのりょうがわにぬいつけてあって、おおきな口はいつでもぱっくりとひらいていて、でもその奥をのぞきこんでも時計は見えません。時計は、おなかのなかにあるからです。わにさんは時計をのみこんでしまっているのです。だからおなかのなかには時計があって、だからわにさんのおなかに耳をちかづけると、チクタク、チクタクと音がするのです。だから、おなかをそうっとおすと、かたいのです。そこに時計があるからです。
 りさは、部屋にはいるといつも、まずチクタクわにさんのほうへ目をやって、まずチクタクわにさんにあいさつをして、それからつくえにむかって手紙を書いたり、ゆかにすわって編物をしたりします。手紙は毎日かきます。ともだちに書いたり、おかあさんに書いたりします。りさのおかあさんはべつの町にいます。ときどき会いにきてくれます。でもいつもいっしょにいるわけではありません。だから、りさは毎日手紙をかきます。その日あったことを書いたり、その日おもったことを書いたりします。きょうは先生がこんなことを言いました。きょうはゆうきくんとこんなことをしました。きょうははれています。きょうはりさはとってもねむいです。だからあまりたくさん書けません。でもあしたまた書きます。そんなことを書きます。
 手紙を書きおわったら編物をします。いま編んでいるのはショールです、おかあさんに編んでいます。このあいだまでは、先生にプレゼントしようとおもってレース糸でしおりを編んでいました。それが終わったので、いまはおかあさんに編んでいます。ひざかけにもなるくらいに大きいのにしようと思っています。あわい、やわらかい灰色に銀の細い糸がからんでいるような、とてもきれいな色の糸を、りさは先生といっしょに行ったお店で買いました。おかあさんによく似あうとおもって、おかあさんはおしゃれだから、それで本をみてショールを編むことにきめて、このあいだから、ゆっくり編みはじめています。まだ三分の一も編めていないけれど、でもひろげると、きれいな蝶のはねみたいにきらきらと光ります。すかし編みをいれたので、ちょっと手間がかかるけど、でもできあがったらきっときれいでしょう。きっと、おかあさんはよろこんでくれることでしょう。

 りさがここへくることがきまったとき、おかあさんはりさのことをきゅうっと抱いてくれました。そのときおかあさんの顔をみようとしたけど、おかあさんはきつくきつくりさのあたまをむねに押さえていて、だからおかあさんの顔は見えませんでした。車にのってりさはすぐにねむってしまって、それはりさがひどく車酔いするたちなのでおかあさんが薬をくれたからで、それでりさはしばらくねむっていて、目がさめてからしばらくして、そうしてやっとセンターについて、やっと車がとまったとき、まくらがわりにしていたチクタクわにさんは汗でしめっていました。たぶん汗だとおもいます、りさの髪も顔もしっとりぬれていました。
 おかあさんはときどき会いにきてくれます。先生のことや、ゆうきくんのことや、いろんなことをりさが話すのを聞いてくれます。ときどきりさに聞きます。みんなよくしてくれる? いやなことはない? 先生は好き? 先生のいうことよく聞いてね。
 りさは、チクタクわにさんを抱いて、チクタクわにさんの鼻面にあごをのっけて、おかあさんのいうことを聞いています。うん、みんなやさしいから。だいじょうぶよ。先生も、ゆうきくんも。でもゆうきくんはね、いつもはやさしいんだけど、ときどきむすっとしてるのよ。なんでだろうね。でもいつもはやさしいわ。先生はいつもとってもやさしい。うん、いつも。とってもやさしいけど、でもときどききらい、うそつくから。だって、いうこと聞いてきちんとしてたら家に帰れるよっていうのよ。いい子にしてたらおかあさんがむかえにくるからって。そんなのうそよね。おかあさんはいつも会いにきてくれるけど、でもむかえに来てくれるわけじゃないもん。いつも、面会の時間がおわったらかえっちゃうもんね。でもだいじょうぶよ、みんなやさしいもの。うん、みんなとっても好き。ああ、もう時間だからおかあさん家にかえらなきゃ。バスが出ちゃう。ほらはやくしないと。ねえおかあさん、つぎはいつきてくれる?
 おかあさんが帰って、りさは部屋にもどって、チクタクわにさんを本棚からおろしてひざに抱いて、せなかをなでてやります。それからベッドにおいて、わにさんのおなかに頭をくっつけてみます。チクタク、チクタク、時計の音がします。チクタク、チクタク、いままでおかあさんがそこにいたのが、チクタク、チクタク、いまはもういなくなって、チクタク、チクタク、いま昼だったのが、チクタク、チクタク、いまはもう夜になって、チクタク、チクタク、チクタク、チクタク、その音を聞きながらりさは目をとじます。目をとじればすぐにねむることができます。チクタク、チクタク、時間がたってゆきます。そうしているうちにねむってしまって、そうしてやがて朝がきます。
 朝、りさは目ざましがなくても、だれよりもはやく起きることができます。朝ごはんはみんなで食べます。りさのとなりには名前をわすれたけどとってもやさしい子がすわっています、この子はいつもりさにおかずをわけてくれます。ゆうきくんはななめむかいにすわっています。
 きょうはゆうきくんはきげんがいいみたいです、りさをみてにっこりわらいました。それから手にもっていたスプーンをゆらゆらうごかしはじめました。からだもゆれて、なにか音楽の指揮をしているみたいです。でもあんまりゆらゆらしていると、先生にみつかるかもしれないのに、そうおもっていると、それが聞こえたみたいにゆうきくんはふっとスプーンをテーブルに落としました。まるでどこかで鳴っていた音楽がいきなり聞こえなくなったみたいに、ゆらゆらしていた手がなにかにぶつかったみたいにゆうきくんの手はスプーンをにぎっていたときのかたちのまま、スプーンがぽろりと落ちました。ゆうきくんはもしかしたらおこりだすかもしれない、いつもそうだから、ゆうきくんは、いままで笑っていたのが、いきなり大きな声をだしたりするから。
 そのとき、テーブルのはしにいた先生がぱっとこっちを見ました。ゆうきくんはまだ立ったままだったので、先生はちょっとのあいだこっちを見ていました、それからおちゃわんをおいてこっちに来ました。ゆうきくんはしかられるかもしれません。そんなことをかんがえながら、りさは朝ごはんをたべます。となりの子は塩じゃけの皮をのこしています、もったいない、皮がいちばんおいしいのに。
 ごはんのあと、りさはいつもは庭に出ます。花壇へ出て、花に水をやるのがりさの係だからです。でもきょうは雨がふっていたので外へ出ませんでした。雨の日には花に水をやらなくていいのです。だからりさはそのまま部屋へもどって、本棚からチクタクわにさんをおろして、わにさんのせなかをなでて、すこしのあいだぼうっとしていました。ほかの子は本を読んだりテレビを見たりしているみたいだけれど、りさは本もテレビも好きではありません。本は目がいたくなるし、テレビの音はきんきんしていて頭がいたくなってきます。
 ぱち、ぱち、ぱち、ぱち。雨が窓にあたって音をたてています。雨の日は窓をあけられないので、部屋のなかにしめっぽい空気がたまっています。わにさんのせなかにひたいをあてていると、ひたいがしっとりしてきます。ひっくりかえして耳をあてると、チクタク、チクタク、時計の音がします。ぱち、ぱち、ぱち、ぱち、雨の音と、チクタク、チクタク、時計の音は、ほんのすこしタイミングがずれていて、ぱちチクタク・ぱち、ぱちチクタク・ぱち、すこしずつ、すこしずつ、ずれていって、ぱチクタクぱち・チクタクぱチクタク、みぎの耳とひだりの耳とで、ぜんぜんちがうリズムの音をりさは聞いています。ぱチクタクぱち・チクタクぱチクタクぱチクタクぱチクぱタクぱ・こつ・こつ・こつ。
 ノックの音がしました。りさがおきあがってどうぞと応えると、ドアがそうっとひらきました。はいってきたのはゆうきくんです。りさはちょっとびっくりしました。だって、ゆうきくんがりさの部屋にくることはほとんどありません、りさの部屋にくるのはたいていは先生で、それも、薬の時間だとか、そういう用事のあるときにくるだけです。りさはあんまりひとの話をきかないので、話をしていてもおもしろくないから、だからみんなあんまり来ないのです。だからりさはいつもひとりで部屋で、ひとりでできることをしています。
 でもその日はゆうきくんが来ました。ゆうきくんが部屋にはいってきてりさの顔をみて、ぬいぐるみのあとがおでこについていると言って、ちょっとわらいました。りさはわにさんを本棚にもどしました。
 それからりさとゆうきくんはすこし話をしました。家のこととかいろいろです。ゆうきくんの家はちいさなお店をやっているのだそうです。写真を見せてくれました。お店のまえでとった写真だそうです。ふっくらしたおんなのひとといっしょにうつっている写真です、子どもがふたり、ちいさいほうが、にこにこしてゆうきくんの足もとにまつわりついています。まだおしめがはずれていないみたい、スカートの下の、もこもこのおしりがひよこみたいです。
 写真をしまって、それからまたすこし話をしました。どんな話をしていたのかあまりおぼえていません、ノックの音がして、ゆうきくんがぴたっと話すのをやめました。りさは時計をみました。ちょっと早いけど、薬の時間です。先生がはいってくるまえにゆうきくんは立ちあがりました。
 あいつら、見てないふりして見てるからな。
 立ちあがるとき、ゆうきくんはりさに耳うちして、それからあれっというように、りさの顔に手をそえました。
 なんで泣いてるの。
 ゆうきくんはそういって、こまったみたいにがさがさの手でりさのほっぺたをなでました。ゆうきくんの手ががさがさなのは、てのひらにも甲にもこまかい傷がいっぱいついているからです。手の甲に、きのうまではなかった大きなみみずばれができていました。ぜんぶ、ゆうきくんがじぶんでひっかいたりした跡です。ゆうきくんはいつも長そでだからわからないけど、そでから出ている手首にもみみずばれはできていて、青っぽいあざも見えます。ぜんぶ、じぶんでつけた傷です。りさのほっぺたをがさがさなでて、それはちょっと痛かったけど、でもおっきな手がきもちよくてりさは目をとじました。ゆうきくんはハンカチをぐいとりさの手におしこんで、そうして笑ってくれました。そうしてゆうきくんは出てゆきました。
 いれちがいに先生がはいってきました。りさを見て、下村さん、おかげんいかがですかと言いました。おかげさまでと答えながら、りさは目をゆびでぬぐいました。ゆうきくんが言っていたとおり、りさの目には、まばたきしたらこぼれそうなくらいになみだがたまっていました。
 先生はりさのとなりにすわってりさの顔を見て、下村さんは雨の日には悲しい気もちになられるんですよねと言いました。

 きょうは雨もあがって、おひさまが出ています。
 ごはんのあと、りさは庭に出ます。花壇に水をやるのはりさの係です。はしからはしまでりさはじょうろで水をやります。いまはちょうどひまわりのおわるころ、もうすこししたら種が取れます。種は乾かしてアルのえさになります。アルはセンターで飼っているハムスターです。センターではハムスターと、あと金魚を飼っています。でめきんが一匹と、あとふつうの金魚が三匹います。
 じょうろで水をやるのはたいへんです。花壇はひろくて、三回か四回水をくみにもどらないといけません。ホースをつかえばもっとかんたんに水をやることができるけど、先生はホースを出してくれません。
 ホースをつかわせてくれないのは、ホースは長いから、水をやるだけでなくいろんなことにつかえるからです。むかし、ホースをぐるぐるまきに首にまいた子がいたからだとだれかがおしえてくれました。それから水をやるのはじょうろになって、むかしはごはんを食べるのにもおはしをつかっていたのが、おはしは目につきさすことができるから、だからスプーンになりました。でもそれはみんながみんなそうということでもなくて、だからたとえばりさは編棒をつかってもいいけれど、りさのとなりにすわっている子はどうなのか知りません。りさは編棒も、はさみもつかっていいけれど、ゆうきくんははさみはもちろん、ガラスのコップなんかもつかってはいけないそうです。
 水やりがおわると、りさは部屋にもどります。部屋にもどってチクタクわにさんにあいさつをすると、あとはもうすることがありません。
 たまに談話室にゆくこともあります。でもたいていはテレビやラジオがついていてうるさいので部屋にいます。部屋で手紙をかいたり編物をしたりしています。でもそのときはなにもしていませんでした。
 部屋でぼうっとしていると、ノックの音がしました。先生がはいってきて、下村さん、お薬の時間ですよと言いました。
 薬は救護室まで行って、先生の目のまえできちんと服まないといけません。そうでないとずるをする子がいるからです。薬を服んだふりをしてトイレに流したりするからです。でもりさはそんなことはしません。
 いまりさが服んでいる薬はどれも味がしません。にがくないので水がなくても服めます。でも水なしでは胃にわるいから、ちゃんと水をいっしょに飲んでくださいね、そう先生は言います。だから薬の時間に救護室へゆくときは、りさはコップをもってゆくことにしています。もちろん救護室にもコップはあるけれど、でもじぶんのをもってゆきます。コップの手をゆびにひっかけてぶらぶらさせながら先生のあとをついて救護室へゆくとちゅう、みんながわあわあ大きな声をだしてろうかをはしっていて、なんだろうと思ったら洗面所のまえにみんながあつまっていました。先生が、ちょっとすみませんと言ってりさをまたせてそっちへゆきました。りさがぼんやりまっていると、すぐこちらへきて、またむこうへもどってゆきました。
 ちょっとして、先生とあとふたりが出てきました、よくみると先生ともうひとりでりょうがわからまんなかの子のからだをささえているみたいでした。ふたりにはさまれて、ほとんどひきずられるみたいに出てきたのはゆうきくんでした、服がしわしわになっていました。そのままみんなで救護室にゆきました。
 とちゅうで、ろうかのむこうからほかの先生がきてすれちがいました。きっと洗面所へゆくのでしょう。みんな大きな声をあげていたから、しずかにさせないといけないから。
 救護室でもりさは待たされました。佑木さん、洗面所でころんで鏡をわってしまわれたんです、手をけがしていますから、すみませんけど下村さんまっていていただけますか。まつのはべつにかまわないので、りさは救護室のいすにすわって先生がゆうきくんの手あてをするのを見ていました。ゆうきくんの左手はタオルでぐるぐるまきにされていました、洗面所のうすいピンクのタオルがゆうきくんの手をぐるぐるまきにしていました。ゆうきくんは顔がまっしろで、はこばれているときもいまも、いちども目をあけませんでした。看護婦さんがゆうきくんの手からタオルをはずしてわきの台において、それからこっちを見て仕切のカーテンをしめてしまいました。
 薬を服んで、りさは部屋にもどります。チクタクわにさんにあいさつをして、それからその顔をみて、その口をみました。おおきくひらいた口のなかはピンクです。洗面所のタオルよりもうちょっと濃いピンクです。
 あのときゆうきくんの手からはずされたタオルはわきにくしゃくしゃになったままほうっておかれていて、そのタオルにはところどころ血がついていて、タオルはピンクと赤のまだらになっていました。
 わにさんの口にはってある布は赤くはないけど、おくのほうの、陰になっているところはちょっと赤っぽく見えます。でもあのタオルみたいにまだらにはなっていません。
 りさは本棚からチクタクわにさんをおろしてみました。口をおおきくひらいてみました。やっぱりぜんたいにピンクで、あんなふうにまだらになっていたりはしませんでした。あんなふうに赤いところはありませんでした。
 チクタクわにさんはピンクの口をおおきくひらいて、その口のなかに時計をのみこんで、だからいまも、わにさんのおなかのなかで、チクタク、チクタク、時計の音がしています。
 チクタクわにさんは、ここにくるよりずっとまえ、もっとずっとまえにりさがつくったぬいぐるみです。しろいタオルとみどりのタオル、それからピンクのタオル、色とりどりのタオルをりさはもっていて、それを型紙どおりに切って、足踏み式のミシンでぱたぱたぱた、ぬいぐるみの本にあったとおりにぬいあわせてパンヤをつめてつくりました。タオルはたくさんあったから、なかでいちばんきれいな色のをとって、みどりいろのぬいぐるみをつくろうと思って。ちょうどわにのぬいぐるみの型紙があったから、目とおなかのところに白と、それから口になるピンクのタオルもあったから。タオルはたくさんあったから、生まれてくる子のために、手ざわりのいいぬいぐるみをつくろうと思って。生まれてくる子のためにタオルはたくさん用意してあったから。きれいな色のタオルをたくさん、みんなちゃんと一度、水にくぐらせて、おろしたてのタオルは水をはじいてしまうから。時間はたくさんあったから、ミシンをふんで、ぱたぱたぱた。ぬいあわせて、パンヤをつめてぬいとじて。目をぬいつけて、ちょっとひょうきんな顔をしたわにさんのできあがり。
 りさは、ぬいぐるみを抱きあげました。
 ぬいぐるみの目はじっとりさを見ています。
 りさはひきだしをあけました。はさみを出して、ぬいぐるみの目をぬいつけてある糸を、ぷつんと切りました。ぷつんぷつんぷつん。糸を切って目をはずすと、それだけでチクタクわにさんはわにでなくなりました、ちょっと長細いまくらみたいになりました。手足のついたまくらです。目のあったところだけタオルの色がちがいます。よごれるまえのきれいなタオルの色です。子どものために買ったときの色です。
 りさは牙をひとつひとつ、糸を切ってはずしてゆきました。はしからひとつづつ、ぜんぶはずしおえると、みどりとピンクだけになりました。みどりとピンクのタオルをぬいあわせているところの糸を、りさはぱちんと切りました。ぱちんぱちんぱちん。ピンクの布をすっかりはずしてしまいました。
 みどりのタオルが筒になっていて、そこからパンヤがはみだしています。細く切ったタオルもまじっています。型紙にあわせてタオルを切ったあとののこりも、つめものにしたからです。切りっぱなしのタオルはほころびていて、でも色はずっとあざやかです。パンヤとまじって、みどりとピンクと白がまじってまだらになっています。みどりのタオルもピンクのタオルも、みんな細く裂いてごしゃごしゃにしてしまって、ぬいぐるみのおなかのなかにぎゅうぎゅうとつめこんだのです。
 りさはタオルの筒をもってさかさにしてみました。けれど、しっかりつまったなかみは、ゆすったくらいでは出てきません。もういちどゆかにおいて、ひとつかみずつ、タオルとパンヤをとりだします。いろんな色のタオルくずと、それからつめものをぬいぐるみのおなかのなかから掻きだしてゆきます。ひとつかみずつ。
 なかごろまできて、りさの爪が、それまでとちがうものにかつん、ぶつかったのがわかりました。
 つかみだして、まつわりついている糸くずをはらいおとします。りさが娘時代につかっていた懐中時計です。古道具屋で買って、気にいってずっと長いことつかっていました。子どもができたら持たせてやろうと思っていた、蓋つきのりっぱな時計です。つまみをおすと、ぱくんと蓋がひらきます。文字盤のガラスにひびがいっていて、針はもう動いていません。もうずいぶん昔に止まってしまっています。
 時計を耳にあててみます。チクタク、チクタク、音はしません。いつごろ止まってしまったのか、おぼえていないけれど、パンヤにくるんでしっかりつつみこんで、そうしてぬいぐるみのからだのおくのほうにつめてしまうよりずっとまえに、もう時計は止まってしまっていて、そうしてぬいぐるみのなかにぬいこんで、りさはそのことをわすれて、いつもぬいぐるみのおなかに耳をあてていたのです。
 チクタク、チクタク、うごかない時計の音を聞きながら、りさは思いだすことのできないむかしのことを考えます。むかし住んでいた家を思います。だれかといっしょにくらしていた、その家には階段をのぼりきったところにおおきな柱時計がかかっていました。かち、かち、かちと針がうごくごとにかたい音をたてる時計でした。急な階段には手すりがなく、りさはのぼりおりするのに壁に手をついてからだをささえていました。のぼるのもおりるのもひと苦労で、りさはいつも息をきらせていました。かち、かち、かちと時計の音を聞きながら、一段、一段、階段をのぼっていました。スリッパはすべりやすくて、そして――
 ――時計は、いつ止まってしまったのでしょう。
 いつも身につけていた懐中時計、あのときも持っていました。あのとき、壁の柱時計が、かち、かち、かちと音をたてるのを聞きながら、それからポケットの時計のチクタク、チクタクという、ごくかすかな音を聞きながら、そう、あのときはまだ時計がうごいていました、柱時計とおなじリズムで、そのふたつのリズムにあわせようとして、でも足もとがよく見えなくて、そう、電気が暗くて、それにおなかが大きかったから、だから足もとがよく見えなくて、つかれやすくなっていて、階段をのぼっていて、とちゅうで何段のぼったかわからなくなってしまって、あと一段あるのがわからなくて、それで――
 ――時計は、ポケットに入っていました、ジャンパースカートのポケットに入れてありました。あわいみどりのジャンパースカート、きれいなみどりいろの、そのみどりのなかにぽつりぽつり、赤い色が、みどりにまじって黒っぽくなっていて、みどりと赤がまだらになっていて、足が、いたくて、つめたくて、熱くて、足だけではなくて、からだが、階段の下で、スリッパが片方ぬげて、目のまえにスリッパが片方ぬげて落ちていて、白いスリッパに赤い色、赤と白とのまだらの――
 りさはふっと顔をあげます。窓のそとがわに取りつけてある寒暖計は十五度をさしています。これから秋になって、それから冬がきたらもっと寒くなってくるでしょう。はやくショールをあみあげなけりゃ、おかあさんまたリューマチが出るから、寒くなると。
 編物のかごをひきよせようとして、りさは手のなかになにかにぎりしめているのに気がつきました。
 ふるぼけた時計です。手の熱でぬるくなってしまっています。りさは時計を耳にあててみましたが、かちりともいいません。ねじをまわしてみたけれど、からまわりしているみたいです、かりかりいうばかりで、ぜんぜん手ごたえがありません。耳もとで二、三回ふってみました。でもやっぱり時計はうごきません。りさはあきらめて、編物のかごのなかに時計をほうりこみました。だって、なんの役にもたちません、うごかない時計なんて。いま何時だろう。
 まくらもとにおいてある時計をみると、ばんごはんまではまだ時間があります。
 りさはかごから編みかけのショールをとりだしました。毛糸玉をとりだしました。きれいな糸です、きらきら光る銀色の糸がやわらかい灰色の糸によりあわさっていて、まだ編みはじめてそんなにたっていないけれど、できあがったぶんをひろげると、とてもきれいであたたかそうです。きっとおかあさんは気にいってくれるでしょう。つぎの手紙に書いてもいいかもしれません。
 編物をしながらりさは手紙の文面をかんがえます。
 つぎにきてくれるときには、カーディガンもってきてください。色はなんでもいいけど、モヘアで編んだやつがいいです。りさもいまおかあさんにショール編んでいます。シルクみたいな手ざわりの毛糸です。先生が教えてくれたの、なんとかコットンっていう糸だけど、コットンじゃないみたい、なまえ忘れちゃったけど、きらきら光るの、きれいな糸です。おかあさんのもってる、あのベージュのセーターのうえからかけたら、きっととってもすてき、とっても似あうとおもいます。さむくなるまえに編みあがると思います。たのしみにしててね。
11/07/16 20:25更新 / blueblack

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