フルーツ三話より「茘枝 −智博−」
まだこどもの、ぽちゃぽちゃしたみじかい指が思いがけない器用さで、つるり、くるりと皮をむく。かたい赤黒い色の皮をぱきぱきと音をたててむいてゆくと、なかからつやのある白く濁ったまるい実が出てくる。弾力のある実に舌をあて、下の歯が種をとらえたところでくいと種にそって実をはずして、種はそのまま皿におとす。
あまり、これを食べたいあれがいやだと言う子ではないけれど、きらいなものだとまったく手をつけない。そんな智博の、このリズムを感じさせる食べかたからして、きっと気にいっているのだろう。枝のまま水道の水をざっと流しただけの茘枝が、どんどんなくなってゆく。
ものを食べていないときの智博は、その口をわたしを罵るためにしかつかわない。ブス。ばか。死ね。それまでは両親にも向かっていたのだろうけれど、いまはわたしひとりがターゲットになっている。貧弱な語彙でせいいっぱい、なんとかわたしを傷つけようとする。けれどわたしはもう慣れてしまって、はじめてこの家にきたときみたいに智博のことばにいちいち顔をひきつらせたり、家にかえってから泣いたりすることもなくなった。
それがよけいに智博の気に障るのかもしれない。
智博が茘枝をぜんぶたいらげてトイレに立つ。手を洗いに行ったんだろう。あとかたづけをするような子でないことはわかりきっているから、わたしはテーブルいっぱいに投げちらかされた茘枝の皮をあつめて袋にまとめ、台ふきんでざっと果物の汁をぬぐいとって流しに立つ。ふきんをゆすいでもういちどテーブルをきれいにふいて、袋いっぱいの皮と種を流しの下の生ごみ入に捨てようとして、思いなおしてベランダに出してあるごみ袋のほうに入れてしまうことにする。持ち重りのする袋をさげてベランダに出ながら、こういうのをやせの大食いっていうんだなとわたしは思う。どこへ入ってゆくんだろうとふしぎになるくらい、智博はよく食べる。満腹になるまえにじぶんの食べているものがつきることが許せないから、智博になにか出すときは、いつも大皿に山盛りにしなけりゃならない。好ききらいがひどいうえに、好きなものでも気まぐれで食べないときがあって、智博の食事のしたくは賭けの要素が大きいといつも思う。このうちのエンゲル係数がどうなっているのか、知ろうとも思わないけれど。
わたしの仕事はごはんを作ることまでで、智博の家族と食卓をかこんだことはないけれど、好きなおかずだとそればかり食べて、ほかのひとのことなどおかまいなしだと智博の母親は言っていた。偏食のひどい子で難儀すると思うけど、よろしくね。
智博がソファにごろりと横になる。
たまねぎをむいているところへ、うしろから声がかかる。
「晩飯は」
「酢豚と蟹玉、春雨のサラダ」
「酢豚あ? ‥‥ゲロの味」
「パイナップルは入れないわよ」
「ドロドロしてて超不味い」
「そのかわり蟹玉が超特大」
舌打ちの音がする。智博があんかけがあまり好きでないことをわたしは知っている。でも今日は酢豚を母親にリクエストされている。野菜を切っていて、つくりおきの餃子の皮がまだ冷凍庫にあったのを思いだした。雲呑スープもつけよう。智博は雲呑の喉越しが気に入っているから、具を少なめにして残りの皮をぜんぶ使ってしまっていい。しいたけと春雨もいれて。
智博はカレーやシチューのたぐいもあまり好きではない。こどもはたいていそういうものが好きだと思っていたはじめのころ、わたしはそれでよく失敗した。ミンチ料理もきらいで、肉そぼろの鉢を壁に投げつけられたときは掃除がたいへんだった。好きなのは魚の煮つけときんぴらごぼう、でも父親がごぼうをあまり好きではない。
智博の好みははっきりしている。母親がもっとも不得手な薄味の和風料理、澄ましの味にはことのほかうるさい。パンはふた駅むこうのベーカリーでその日のぶんだけ焼いているバターロールしか食べない、それ以外は乾いたスポンジだと言う。にんじんの浅漬けはあんまり気にいったものだから、あとで母親に作りかたを教えるはめになった。
スープの味をみているところへチャイムが鳴る。わたしは火をとめて玄関へゆく。
「おかえりなさい」
「ただいま、智くん、いるの?」
智博の母親はきれいなひとだと思う。それにがまんづよい。
「おみやげがあるのよ、智くんの好きな坂城屋のおまんじゅう」
にっこり笑ってダイニングに入ってくる。こんなにきれいに笑うことのできるひとはそういない。ことに、智博みたいな子をもって、それでも毎日、まるで問題などないように、ふつうに息子に話しかけることなんて、わたしだったらきっとできない。仕事でなかったら、智博みたいな子とは一日だってつきあえないだろう。
けれど、すくなくともわたしは、智博の母親より打たれ強いんだろうとは思う。
智博の母親は息子に罵られるのに耐えられない。智博の母親はわたしが罵られるのには耐えられる。それにお金もある。わたしはお金のために、この家に週に三日通っている。食事のしたくをしたり部屋のそうじをしたりしている。そういう約束だったのが、智博に罵られることもそのお金のうちにふくまれるのだと知って、やめようと思ったのは一週間め、それがいつのまにか慣れてしまって、いまでは智博の機嫌を心のなかで実況中継するくらいになってしまった。
――きょうの智博は晴れ、ところにより曇り。おでかけの際には傘をお忘れにならないようお気をつけください――
「ねえ、智くん」
答えない息子に、くりかえす。
「酒饅頭がふたつだけ、のこってたのよ。ふたつとも食べていいからね」
「いらね」
「智くん」
スープ鍋のふちで、ふわふわと雲呑が踊りはじめる。わたしは火をとめる。
「じゃあ、わたしはこれで」
失礼します。エプロンをはずして一礼して、あとのことは知らない。智博はまた爆発するだろうか。あのきれいな母親のことを、くそばばあと罵るだろうか。わたしの知ったことではないけれど。
智博の家からうちまでは速足で二十五分。これがこの仕事をきめた大きな要因で、お金のつぎに、やめるふんぎりのつかなかった、とても大きな理由になっている。日のくれかけている道を、わたしは歩く。足にまといつく空気は夏の夜の、ねっとりした重いものだ。夕立のあとのしめったアスファルトから、じんわりとつめたさがはいのぼってきている。
わたしを呼ぶ声のむこうで、がつん、と鈍い音がする。それが、ものを投げた音だとわたしは知っている。たぶんリビングに飾ってある木彫りの人形、壁にうちつければあんな音がするだろう。あんなもの片手では持てないのに、こどものちいさい手では、両手でかかえて、そうして思いきり投げるのでなけりゃ、ただ落としただけではあんなに重い音はしない。
きてちょうだい、いますぐに。
なべからちょうど麺をあげたところ、オリーブオイルに手をのばすひまもなく、わたしは手をぬぐいながらリビングへいそぐ。
このところ、智博はあばれるようになった。ひとを傷つけるわけではない。ただ、ものをよくこわす。それから自分を傷つける。壁をなぐる。手から流れる血でよごれた壁をあらうのも、三月くらいまえからわたしの仕事になった。それから、じぶんの頭を壁にうちつける。こどものきゃしゃな体型だとはいっても、中学に入って背ものびはじめてきて、それなりに力もついてきた男の子が全身であばれるのをおさえつけることなんて、父親にだってそうかんたんにはできない。まして智博とどっこいどっこいの背丈のわたしは、智博がそんなふうになってしまったら、ただ見ていることしかできない。でも母親は、なんとかやめさせようとする。
「智くん、やめて。智くん」
「ここはいいですから」
わたしはそう言って、母親をさがらせる。髪がみだれてしまっていても、それでもきれいなひとだ。顔があおざめて、口紅がいっそうはえる。わたしよりすこしばかり背のたかいひとが、わたしを見て、それからわたしの陰になった息子に目をあわせないようにして、ほんのすこしほっとした表情になる。どうせ、母親がいてもいなくても智博はあばれる。それなら、こんなふうにかんたんに傷ついてしまうひとよりわたしが相手をしていたほうがいい。それに、智博はぜったいに他人を攻撃することはない。いまだって、もう、まわりには投げるものもなくなってしまっている。
智博はいつだって、ただあばれたいときにあばれて、わたしはただそれを見ているだけだ。ときどき水でもぶっかけてやればおさまるかと思うこともあるけれど、部屋をだいなしにしたら、あとのそうじもわたしがしなけりゃならないし、それ以前にくびだろう。そんなふうにいろんな考えをめぐらせているうちに、いつのまにか智博の台風はおさまっていて、わたしは、さてあとかたづけにかかるかと腰をあげる。智博はわたしが動きはじめると動きをとめる、そうして掃除をしているわたしをじっと見ている、まるでひとりで糸をくるあやつり人形みたいに、わたしたちはどちらかが動いているときには、もうかたほうはなにもしないで、ただ相手をじっと見ている。
――智博台風、上空を通過、明日は晴れわたるでしょう――
晴れないかもしれないけど。そう、つけくわえて智博に向きなおる。
はじめのうち、わたしはがたがたふるえていた。いまはもう慣れてしまって、気がすむまでほうっておく。そうして、すべてがおわってから皮のむけた手を消毒したり、頭のこぶをひやしたりするのもわたしの仕事だ。ひととおりあばれたあとの智博はおとなしくされるままになっているけど、口だけは休めることがない。息もあがっているのに、ぶつぶつ、ぶつぶつ、聞きとれない悪口を聞くためにわたしは智博の口に耳をよせる。なぐられたりすることがないのを知っているから、わたしは智博にぐっとからだをよせて、なるべくちかくで智博のことばを聞こうとする。
ブス。ばか。死ね。チクショウ。
それからなんだっけ。
智博はひとを罵るためのことばをほとんど知らない。それ以外のことばだってそんなに知っているわけではないけれど。わたしへのことばだって、ほんのいくつかをくりかえし、くりかえし、はげしさだけを増して、やがて、ふっとだまりこんでしまう。
智博のふくらはぎに痣ができていた。そうっと、まわりにふれただけでびくりと体をこわばらせる。骨をどうかしているわけではなさそうだし、これくらいならほうっておいてもだいじょうぶだろう。それよりも手だ。爪で切れたところの血をぬぐってやる。
「‥‥」
智博がなにか、うなるような声をあげる。
壁にはめこんである鏡にわたしたちがうつっている。ぴかぴかにみがきあげられた鏡の端は割れてしまっている。入れかえるのにいくらかかるんだろうとわたしは考えてみる。あれだけの大きな鏡、かなりのお金になりそうだ。その、端の割れた鏡に智博の横顔がうつっている。
そこいらじゅうに鳥の羽が散っている。父親の外国みやげの鳥の剥製。むしられた羽が床にまき散らされている。鳥のからだは首から下がつるつるにはげてしまって、目玉ばかりがぎょろりとにらみつけている。大きい羽がたくさん散っていて、掃除機じゃなくて手でひろったほうが早いかもしれないとわたしは考える。
ダイニングにもどると、想像していたとおり、パスタはたがいにくっついてしまっていて、すっかり団子になっていた。せっかくのアルデンテもどうしようもなくなっている。すこし考えて、メニューをスープスパゲティに変更した。いいあさりが入っていたのでボンゴレのつもりだったのだけれど、海の幸スープということにしてしまおう。
うしろに気配があった。わたしがふりかえらずにいると、智博がダイニングの椅子をひいてすわったのがわかった。おなかがすいたのだろうかとわたしは考える。あれだけあばれたのだもの、あたりまえかもしれない。わたしは手をとめて、冷蔵庫からタッパーを出して皿にうつす。包丁で切りわけて、コンデンスミルクをかけて、スプーンをそえる。
智博に出してやると、ものも言わずに食べはじめた。そのあとから智博の母親がやってくる。にっこり笑って。
「あら、おいしそうね」
「マンゴープディングです」
どうぞ、と出すと、わたしはいいわ、夕飯がはいらなくなっちゃうとほほえむ。智博ががたんと椅子を蹴って立ちあがって、そのまま母親の横をすりぬけるようにリビングのほうへ行ってしまう。皿のプディングはまだ半分以上のこっている。
母親が、ふっと笑って皿を取る。わたしの見ているまえで、プディングを生ごみ入にすてる。しかたないわね、あの子も。食べものをむだにして。せっかくつくってもらったものを。
ねえ、と母親がわたしを見る。
わたしが答えるよりさきに、チャイムが鳴る。父親が帰ってきたのだろう。わたしはサラダをつくりはじめる。父親を出むかえるのは母親の仕事だから、わたしはドレッシングをあわせてから、智博のところへゆく。
智博はリビングでクッションを踏みつけていた。わたしを見て、ぎろりとにらみつけて、クッションをなげる。壁に。わたしの目のまえで、もうひとつのクッションをなげる。置時計に当たって、ごとん、と落ちる。父親も母親も来ない。
――きょうの智博は曇り、降水確率八十パーセント――
クッションを投げているときも、智博の目はわたしから離れない。わたしがなにもしないのを知っていて、わたしがどこへもゆかないのを知っている。
なぜ、そんなことをしたのかわからない。
わたしは智博のほうへ一歩踏みだしていた。いつものわたしたちの距離から、一歩ぶん、ちかくなっていた。智博の眉があがる。もう一歩。
いつも、じぶんがあばれ終わるまで待っているはずのわたしが、すこしずつ距離をちぢめているのを、智博はじっと見ている。手が泳いで、床に落ちていたテレビのリモコンをつかみとると、壁にぶつける。わたしとは逆のほうへ。
どうしてわたしに投げないんだろう。こんなに近くに来ているのに。
もう、ちかづけないくらいに近くにいる。わたしは、智博の目のまえに立っている。手をのばせばとどく。智博は動かない。
そのまま、智博の肩をつかまえた。わたしの顔のわずか上にある顔がわたしを見ている。体重をかけて引きよせると、はずみで倒れそうになった。ふんばって、智博の顔を胸に抱く。
汗のにおいに、こどものミルクのにおいがほんのすこしまじっているようなにおいのする頭にわたしはあごを乗せるようにして、智博の背中を抱く。
智博ののどが、ひくりと鳴った。背中がゆれたのをわたしの手は感じた。智博の手がわたしのエプロンの端をにぎりしめた。やがて、ゆっくりエプロンが濡れはじめた。その熱を感じて、わたしはじっとしていた。
智博は、声はあげなかった。
ただじっと、わたしたちはじっと、そのままでいた。
あまり、これを食べたいあれがいやだと言う子ではないけれど、きらいなものだとまったく手をつけない。そんな智博の、このリズムを感じさせる食べかたからして、きっと気にいっているのだろう。枝のまま水道の水をざっと流しただけの茘枝が、どんどんなくなってゆく。
ものを食べていないときの智博は、その口をわたしを罵るためにしかつかわない。ブス。ばか。死ね。それまでは両親にも向かっていたのだろうけれど、いまはわたしひとりがターゲットになっている。貧弱な語彙でせいいっぱい、なんとかわたしを傷つけようとする。けれどわたしはもう慣れてしまって、はじめてこの家にきたときみたいに智博のことばにいちいち顔をひきつらせたり、家にかえってから泣いたりすることもなくなった。
それがよけいに智博の気に障るのかもしれない。
智博が茘枝をぜんぶたいらげてトイレに立つ。手を洗いに行ったんだろう。あとかたづけをするような子でないことはわかりきっているから、わたしはテーブルいっぱいに投げちらかされた茘枝の皮をあつめて袋にまとめ、台ふきんでざっと果物の汁をぬぐいとって流しに立つ。ふきんをゆすいでもういちどテーブルをきれいにふいて、袋いっぱいの皮と種を流しの下の生ごみ入に捨てようとして、思いなおしてベランダに出してあるごみ袋のほうに入れてしまうことにする。持ち重りのする袋をさげてベランダに出ながら、こういうのをやせの大食いっていうんだなとわたしは思う。どこへ入ってゆくんだろうとふしぎになるくらい、智博はよく食べる。満腹になるまえにじぶんの食べているものがつきることが許せないから、智博になにか出すときは、いつも大皿に山盛りにしなけりゃならない。好ききらいがひどいうえに、好きなものでも気まぐれで食べないときがあって、智博の食事のしたくは賭けの要素が大きいといつも思う。このうちのエンゲル係数がどうなっているのか、知ろうとも思わないけれど。
わたしの仕事はごはんを作ることまでで、智博の家族と食卓をかこんだことはないけれど、好きなおかずだとそればかり食べて、ほかのひとのことなどおかまいなしだと智博の母親は言っていた。偏食のひどい子で難儀すると思うけど、よろしくね。
智博がソファにごろりと横になる。
たまねぎをむいているところへ、うしろから声がかかる。
「晩飯は」
「酢豚と蟹玉、春雨のサラダ」
「酢豚あ? ‥‥ゲロの味」
「パイナップルは入れないわよ」
「ドロドロしてて超不味い」
「そのかわり蟹玉が超特大」
舌打ちの音がする。智博があんかけがあまり好きでないことをわたしは知っている。でも今日は酢豚を母親にリクエストされている。野菜を切っていて、つくりおきの餃子の皮がまだ冷凍庫にあったのを思いだした。雲呑スープもつけよう。智博は雲呑の喉越しが気に入っているから、具を少なめにして残りの皮をぜんぶ使ってしまっていい。しいたけと春雨もいれて。
智博はカレーやシチューのたぐいもあまり好きではない。こどもはたいていそういうものが好きだと思っていたはじめのころ、わたしはそれでよく失敗した。ミンチ料理もきらいで、肉そぼろの鉢を壁に投げつけられたときは掃除がたいへんだった。好きなのは魚の煮つけときんぴらごぼう、でも父親がごぼうをあまり好きではない。
智博の好みははっきりしている。母親がもっとも不得手な薄味の和風料理、澄ましの味にはことのほかうるさい。パンはふた駅むこうのベーカリーでその日のぶんだけ焼いているバターロールしか食べない、それ以外は乾いたスポンジだと言う。にんじんの浅漬けはあんまり気にいったものだから、あとで母親に作りかたを教えるはめになった。
スープの味をみているところへチャイムが鳴る。わたしは火をとめて玄関へゆく。
「おかえりなさい」
「ただいま、智くん、いるの?」
智博の母親はきれいなひとだと思う。それにがまんづよい。
「おみやげがあるのよ、智くんの好きな坂城屋のおまんじゅう」
にっこり笑ってダイニングに入ってくる。こんなにきれいに笑うことのできるひとはそういない。ことに、智博みたいな子をもって、それでも毎日、まるで問題などないように、ふつうに息子に話しかけることなんて、わたしだったらきっとできない。仕事でなかったら、智博みたいな子とは一日だってつきあえないだろう。
けれど、すくなくともわたしは、智博の母親より打たれ強いんだろうとは思う。
智博の母親は息子に罵られるのに耐えられない。智博の母親はわたしが罵られるのには耐えられる。それにお金もある。わたしはお金のために、この家に週に三日通っている。食事のしたくをしたり部屋のそうじをしたりしている。そういう約束だったのが、智博に罵られることもそのお金のうちにふくまれるのだと知って、やめようと思ったのは一週間め、それがいつのまにか慣れてしまって、いまでは智博の機嫌を心のなかで実況中継するくらいになってしまった。
――きょうの智博は晴れ、ところにより曇り。おでかけの際には傘をお忘れにならないようお気をつけください――
「ねえ、智くん」
答えない息子に、くりかえす。
「酒饅頭がふたつだけ、のこってたのよ。ふたつとも食べていいからね」
「いらね」
「智くん」
スープ鍋のふちで、ふわふわと雲呑が踊りはじめる。わたしは火をとめる。
「じゃあ、わたしはこれで」
失礼します。エプロンをはずして一礼して、あとのことは知らない。智博はまた爆発するだろうか。あのきれいな母親のことを、くそばばあと罵るだろうか。わたしの知ったことではないけれど。
智博の家からうちまでは速足で二十五分。これがこの仕事をきめた大きな要因で、お金のつぎに、やめるふんぎりのつかなかった、とても大きな理由になっている。日のくれかけている道を、わたしは歩く。足にまといつく空気は夏の夜の、ねっとりした重いものだ。夕立のあとのしめったアスファルトから、じんわりとつめたさがはいのぼってきている。
わたしを呼ぶ声のむこうで、がつん、と鈍い音がする。それが、ものを投げた音だとわたしは知っている。たぶんリビングに飾ってある木彫りの人形、壁にうちつければあんな音がするだろう。あんなもの片手では持てないのに、こどものちいさい手では、両手でかかえて、そうして思いきり投げるのでなけりゃ、ただ落としただけではあんなに重い音はしない。
きてちょうだい、いますぐに。
なべからちょうど麺をあげたところ、オリーブオイルに手をのばすひまもなく、わたしは手をぬぐいながらリビングへいそぐ。
このところ、智博はあばれるようになった。ひとを傷つけるわけではない。ただ、ものをよくこわす。それから自分を傷つける。壁をなぐる。手から流れる血でよごれた壁をあらうのも、三月くらいまえからわたしの仕事になった。それから、じぶんの頭を壁にうちつける。こどものきゃしゃな体型だとはいっても、中学に入って背ものびはじめてきて、それなりに力もついてきた男の子が全身であばれるのをおさえつけることなんて、父親にだってそうかんたんにはできない。まして智博とどっこいどっこいの背丈のわたしは、智博がそんなふうになってしまったら、ただ見ていることしかできない。でも母親は、なんとかやめさせようとする。
「智くん、やめて。智くん」
「ここはいいですから」
わたしはそう言って、母親をさがらせる。髪がみだれてしまっていても、それでもきれいなひとだ。顔があおざめて、口紅がいっそうはえる。わたしよりすこしばかり背のたかいひとが、わたしを見て、それからわたしの陰になった息子に目をあわせないようにして、ほんのすこしほっとした表情になる。どうせ、母親がいてもいなくても智博はあばれる。それなら、こんなふうにかんたんに傷ついてしまうひとよりわたしが相手をしていたほうがいい。それに、智博はぜったいに他人を攻撃することはない。いまだって、もう、まわりには投げるものもなくなってしまっている。
智博はいつだって、ただあばれたいときにあばれて、わたしはただそれを見ているだけだ。ときどき水でもぶっかけてやればおさまるかと思うこともあるけれど、部屋をだいなしにしたら、あとのそうじもわたしがしなけりゃならないし、それ以前にくびだろう。そんなふうにいろんな考えをめぐらせているうちに、いつのまにか智博の台風はおさまっていて、わたしは、さてあとかたづけにかかるかと腰をあげる。智博はわたしが動きはじめると動きをとめる、そうして掃除をしているわたしをじっと見ている、まるでひとりで糸をくるあやつり人形みたいに、わたしたちはどちらかが動いているときには、もうかたほうはなにもしないで、ただ相手をじっと見ている。
――智博台風、上空を通過、明日は晴れわたるでしょう――
晴れないかもしれないけど。そう、つけくわえて智博に向きなおる。
はじめのうち、わたしはがたがたふるえていた。いまはもう慣れてしまって、気がすむまでほうっておく。そうして、すべてがおわってから皮のむけた手を消毒したり、頭のこぶをひやしたりするのもわたしの仕事だ。ひととおりあばれたあとの智博はおとなしくされるままになっているけど、口だけは休めることがない。息もあがっているのに、ぶつぶつ、ぶつぶつ、聞きとれない悪口を聞くためにわたしは智博の口に耳をよせる。なぐられたりすることがないのを知っているから、わたしは智博にぐっとからだをよせて、なるべくちかくで智博のことばを聞こうとする。
ブス。ばか。死ね。チクショウ。
それからなんだっけ。
智博はひとを罵るためのことばをほとんど知らない。それ以外のことばだってそんなに知っているわけではないけれど。わたしへのことばだって、ほんのいくつかをくりかえし、くりかえし、はげしさだけを増して、やがて、ふっとだまりこんでしまう。
智博のふくらはぎに痣ができていた。そうっと、まわりにふれただけでびくりと体をこわばらせる。骨をどうかしているわけではなさそうだし、これくらいならほうっておいてもだいじょうぶだろう。それよりも手だ。爪で切れたところの血をぬぐってやる。
「‥‥」
智博がなにか、うなるような声をあげる。
壁にはめこんである鏡にわたしたちがうつっている。ぴかぴかにみがきあげられた鏡の端は割れてしまっている。入れかえるのにいくらかかるんだろうとわたしは考えてみる。あれだけの大きな鏡、かなりのお金になりそうだ。その、端の割れた鏡に智博の横顔がうつっている。
そこいらじゅうに鳥の羽が散っている。父親の外国みやげの鳥の剥製。むしられた羽が床にまき散らされている。鳥のからだは首から下がつるつるにはげてしまって、目玉ばかりがぎょろりとにらみつけている。大きい羽がたくさん散っていて、掃除機じゃなくて手でひろったほうが早いかもしれないとわたしは考える。
ダイニングにもどると、想像していたとおり、パスタはたがいにくっついてしまっていて、すっかり団子になっていた。せっかくのアルデンテもどうしようもなくなっている。すこし考えて、メニューをスープスパゲティに変更した。いいあさりが入っていたのでボンゴレのつもりだったのだけれど、海の幸スープということにしてしまおう。
うしろに気配があった。わたしがふりかえらずにいると、智博がダイニングの椅子をひいてすわったのがわかった。おなかがすいたのだろうかとわたしは考える。あれだけあばれたのだもの、あたりまえかもしれない。わたしは手をとめて、冷蔵庫からタッパーを出して皿にうつす。包丁で切りわけて、コンデンスミルクをかけて、スプーンをそえる。
智博に出してやると、ものも言わずに食べはじめた。そのあとから智博の母親がやってくる。にっこり笑って。
「あら、おいしそうね」
「マンゴープディングです」
どうぞ、と出すと、わたしはいいわ、夕飯がはいらなくなっちゃうとほほえむ。智博ががたんと椅子を蹴って立ちあがって、そのまま母親の横をすりぬけるようにリビングのほうへ行ってしまう。皿のプディングはまだ半分以上のこっている。
母親が、ふっと笑って皿を取る。わたしの見ているまえで、プディングを生ごみ入にすてる。しかたないわね、あの子も。食べものをむだにして。せっかくつくってもらったものを。
ねえ、と母親がわたしを見る。
わたしが答えるよりさきに、チャイムが鳴る。父親が帰ってきたのだろう。わたしはサラダをつくりはじめる。父親を出むかえるのは母親の仕事だから、わたしはドレッシングをあわせてから、智博のところへゆく。
智博はリビングでクッションを踏みつけていた。わたしを見て、ぎろりとにらみつけて、クッションをなげる。壁に。わたしの目のまえで、もうひとつのクッションをなげる。置時計に当たって、ごとん、と落ちる。父親も母親も来ない。
――きょうの智博は曇り、降水確率八十パーセント――
クッションを投げているときも、智博の目はわたしから離れない。わたしがなにもしないのを知っていて、わたしがどこへもゆかないのを知っている。
なぜ、そんなことをしたのかわからない。
わたしは智博のほうへ一歩踏みだしていた。いつものわたしたちの距離から、一歩ぶん、ちかくなっていた。智博の眉があがる。もう一歩。
いつも、じぶんがあばれ終わるまで待っているはずのわたしが、すこしずつ距離をちぢめているのを、智博はじっと見ている。手が泳いで、床に落ちていたテレビのリモコンをつかみとると、壁にぶつける。わたしとは逆のほうへ。
どうしてわたしに投げないんだろう。こんなに近くに来ているのに。
もう、ちかづけないくらいに近くにいる。わたしは、智博の目のまえに立っている。手をのばせばとどく。智博は動かない。
そのまま、智博の肩をつかまえた。わたしの顔のわずか上にある顔がわたしを見ている。体重をかけて引きよせると、はずみで倒れそうになった。ふんばって、智博の顔を胸に抱く。
汗のにおいに、こどものミルクのにおいがほんのすこしまじっているようなにおいのする頭にわたしはあごを乗せるようにして、智博の背中を抱く。
智博ののどが、ひくりと鳴った。背中がゆれたのをわたしの手は感じた。智博の手がわたしのエプロンの端をにぎりしめた。やがて、ゆっくりエプロンが濡れはじめた。その熱を感じて、わたしはじっとしていた。
智博は、声はあげなかった。
ただじっと、わたしたちはじっと、そのままでいた。
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