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連載小説
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ただいま(うたひめ連作)
 ちょうど終えるつもりだったかのようにうたうのをやめると、ゆっくりと僕を振り返った。



 最後の歌姫などと呼ばれてもてはやされている歌手のアルバムを貸してもらっていたのだが、いそがしさにとりまぎれてすっかりわすれていた。


 学費と生活費をかせぐために、僕は学生にラテン語を教えていた。この国ではいまだにラテン語か古代ギリシア語の単位がないと高校が卒業できない。そういった言語の個人教授は、僕のように中学・高校と古代語にどっぷりつかった学生生活を送ってきた者にはかっこうの小づかいかせぎだった。
 僕は、九歳のときに両親とともにこの国に移民してきた第一世代で、母国語は両親としか話す機会がない。学校で、なれない外国語で勉強してゆくうえでゆいいつ級友とおなじか、それ以上に優位に立てたのが選択外国語と呼ばれるこれらの言語だった。それも、おくびょうな僕はもう話す人間のいない古代語なら発音をわらわれることもない、とラテン語や古代ギリシア語、はては中期エジプト語など、およそものの役にたたないと思われるような言語を集中的に選択し、大学に入学するころにはそれらをふくめて、ふたけたにのぼる数の言語を学んでいた。
 高校のころは、ただのもの好きあつかいされていたこの趣味が、大学に入ってから意外なところで役にたつことを知った。外国語、ことに古代語は人気もなく、正式に勉強しようとすればそれなりの金もかかる。手ごろな金額でやとえる学生の個人教授には常に需要があった。

 その日も、ふたりの高校生の個人教授をおえて、僕は夜もかなりおそくなってから下宿にかえりついた。食欲がなかったのでそのまま寝てしまおうかと思ったとき、机においたままになっていたそのアルバムが目についた。名まえだけはきいたことのある歌手の、そこそこ売れたアルバム。コートをぬいで椅子にほうり、今朝たべそこねた梨のひとかけらをかじりながらアルバムをセットした。チェンバロというのだろうか、よくはわからないがとにかくそういった、ピアノの系統のすこしきんきんする音色の楽器を伴奏に、女の細い声がスピーカーから流れでてくる。
 オとウの母音がはっきりしないなと僕はぼんやりと考えた。それに歯擦音が耳につく。職業病ともいえるのだろうか、ふつうに話すのを聞いていても、そういったことがやけに気になる体質になってしまっている。ひどいときには口のひらきかたまでが想像されて、僕の目のまえに映像になってあらわれてくる。小柄な女だ。骨が細くて声量もあまりない。きっと、専門的な訓練も受けないままに歌手になってしまったんだろう。マイクにときおり入る息つぎの音からも、まるで発声のできていないことがうかがえる。
 さわがれているほどの声じゃないなというのが第一印象で、すなおなうたいかたは、喫茶店のBGMにつかうくらいならじゃまにもならないかもしれないと思えるくらいに、癖も魅力もなかった。

 そのままうとうとしかけていた僕の耳に、そのとき、それはするりと流れこんできた。
 僕がおさないころ、母がくりかえし、レコードにあわせて口ずさんでいた歌だった。

 母はいろいろな歌をよく知っていた。ひとりっ子の僕をひざに抱いては、さまざまな歌をうたいきかせてくれた。雨の日には雨の歌を、晴れた日には日の光の歌を、夜ねるときには子守唄を。僕は母の声が、母にうたわれる歌がすきだった。そして、なかでもとくに、その歌がすきだった。
 古いレコードは、かけるとぱちぱちとこまかな音をたてた。あわのはじける音のようねと母はわらって、もう寿命かしらねといって、それでも雑音に消されそうなその歌を、くびをかたむけて聴きながら、じぶんでも低い声でうたっていた。なんの歌かとたずねると、かあさんがむすめのころにはやった歌よとわらって、はじめのほうをくりかえしてくれた。古めかしいことばづかいの歌で、幼かった僕にはほとんど意味もわからなかった。ただ、どうやら恋歌らしいということはわかった。つづきを教えてとねだると、この先はわからないのよと母はわらった。この歌のおわりはね、もういまはつかわれていない、だれにもわからない古いことばでうたわれているの。そういってわらった。
 あたらしくうたわれているそのなつかしい歌を聴きながら、はじめて僕は思いだした。僕がなぜ古代のことばにここまで惹かれたのかを。どうして、ここまで外国語を、それも古代語ばかりをえらんで学んできたのかを。ことばは、ぼくにとって、はじめは歌だった。それは、だれかからだれかにむけてうたわれた思いだった。ほかのだれも、口ずさみながらも意味のわからない、けれどうたわれたそのあいてにとってはたしかに意味をもつことばで、それをこそ僕は知りたかったのだ。知りたくて、ならなかったのだ。

 歌がおわろうとしていた。僕はステレオをとめ、もういちどその歌をかけなおした。細い、たよりない声が、母のうたうのよりよほどかろやかに、うつろにおなじ歌をつむぐ。アレンジもいまふうに聴きやすくなっていて、まるでラジオから流れてくるはやりの歌のようだ。いや、はやりの歌にはちがいないのだろう。ただ、そのリフレインの、そのさいごの箇所だけは、やはりいまのぼくにもわからない、耳になじまないどこかの国のことばだった。東欧のことばだろうかと僕は考えてみた。そのようでもあり、そうではないようにも思えた。すくなくとも僕の知っているどの国のいつの時代のことばにも、それは似ていないように思えた。歌詞カードには、民謡をもとにした曲だとの説明があり、リフレインの歌詞は省略されていた。

 僕はステレオをとめた。


 冬学期のおわりに、休暇をとって僕は実家にかえった。庭先で母は、細い声で歌をうたいながら枯れ枝を折りとっていた。おぼえているとおりの長い髪をうしろでまとめ、枝を両手にかかえているすがたを僕がみとめて、声をかけようとしたそのとき、ちょうど終えるつもりだったかのようにうたうのをやめると、ゆっくりと僕を振りかえった。
 そうしてしばらく僕をみとめ、そのまま、おかえりなさいとも言わずに、小走りに寄っていった僕に枝を持たせるとさっさと家に入っていった。

 「これどうするの」
 「冬祭の飾りにするのさ」

 つったってないで早く入っといでと母は玄関口で僕をもういちど振りかえった。奥から父の声がした。

 「母さん。学校を卒業したらかえってくる約束だったけど」
 母は僕を見あげ、ふっとわらった。
 「約束をやぶりたくなったのかい」
 「母さんがいつもうたっていた歌があったでしょう」
 僕が言うと、母はさあどれのことだろうかねと、芝居がかったしぐさであごに手をやった。それがどうかしたのかい。
 あの歌のね、歌詞につかわれている古語についてしらべたくなったんだ。
 「おまえは昔から、わけのわからないことを知りたがる子だったよ」
 飯のたねにもならないようなどうでもいい勉強ばかりして。町の学校へなんて行かせたら、それっきりかえってこなくなっちまうだろうって父さんも言っていたさ。わかっていたよ、はじめから。ああ、どこへでも行くがいいよ。行きたいところへ。あつめた枝をぽきりぽきりと折りながら母は言った。わらって言った。僕もわらった。
 「いますぐじゃないよ。まだ、それがどこの国かもわからないんだ」
 それを調べるのにどのくらいかかるかもわからないし。そう僕が言うと、気の長い話だと母はわらった。さあ父さんが待ちかねてるよ。今晩は父さんの好きな羊肉のステーキだからね。

 僕はコートを脱いで壁にかけると、父のいる居間のほうへ、声をかけた。

 「ただいま」
11/07/14 01:11更新 / blueblack
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