PC用眼鏡【管理人も使ってますがマジで疲れません】 解約手数料0円【あしたでんき】 Yahoo 楽天 NTT-X Store

無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 ふるさと納税 海外旅行保険が無料! 海外ホテル

読切小説
[TOP]
蔦の絡まる
 吾輩は蔦である。名は既にある、いやありすぎる。「蔦さん」だの「お化けツタ」だの、甚だしくは「アイビーちゃん」などと呼ぶ輩までいる。話が逸れたが、どこで生まれたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でさわさわと揺れていたことだけは記憶している。吾輩はここではじめて人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれは奥方という人間の中でいちばん獰悪な種族であったそうだ。この奥方というのはガーデニングとやらいう趣味を持ち合わせていて、時々我々をつかまえて仲間から引き離しては自分の庭を飾り立て、好みに合わねば間引いたり、運悪く枯れれば打ち捨てるという話である。しかしその当時はなんという考えもなかったからべつだん恐ろしいとも思わなかった。ただ体の周りを掘られ裸にされたような恐ろしさを感じたかと思うと彼女の手に掴まれてスーと持ち上げられ、細かい根がブツリブツリと切れた時なんだかいきなり体が軽くなったような、フワフワした心もとない感じがあったばかりである。手のひらの上で少し落ちついて奥方の顔を見たのがいわゆる人間というものの見始めであろう。この時妙なものだと思った感じが今でも残っている。第一葉脈をもって装飾されるべきはずの顔が白く塗りたてられて下の方に赤く一筋ここを見よとばかりに一文字に引かれたさまはまるで薬局の看板だ。その後蔦に会うことはなかったがこんな片輪には恐らく一度も出くわすことはなかろうと自信をもって言える。のみならずこの奥方という人間は吾輩を新しい住処に植え替えてまもなく死んでしまった。どうも悲しくてじつに弱った。これが人間に起こる流行病というものであることをようやくこのごろ知った。

 「蔦さんや、いい天気だねえ」
 奥方の夫である野々宮老が私に話しかける。老はどうも吾輩を女扱いしている節が見受けられる。先だってどこぞの不動産屋が、建物が傷んで資産価値が下がるからと吾輩を取り除けるよう老に進言したところ、老はとんでもないと首を振り、かわいそうじゃありませんか、こんなにきれいで可愛らしいというのにと言ってのけて不動産屋を呆れさせたのであった。もしや吾輩を奥方と同一視しているのではないかと感ずることがある。そういえば奥方の名は「桂」であった。「かつら」と「かずら」、似ていると言えなくもないところが悩ましいが、吾輩は女ではないので老には一度言って聞かせねばなるまい。嗚呼しかし老には吾輩の言葉は通じないのであった。益々もって悩ましい。
 しかしそれはそれとして、日向ぼっこは人にとっても蔦にとっても健全な成長と心身の健康にとって欠かせないものであるからして、今日も今日とて老の傍らで御天道様に向かって全てをさらけ出し、青い葉をより青くして春まだき寒さの中に光を謳う吾輩である。

 「いいご身分だな」
 苦々しげに吐き捨てる声に振り向くより先に声が続ける。
 「おれの体の隅々までお前の触れなかった場所はないってのに、おれが身動き取れないのをいいことに、お前は好き勝手にあちこちでつまみ食いしてやがって。爺まで守備範囲かよ」
 彼はどうもこのところ僻み根性が表に出てきていて、話していても気疲れする。吾輩がなぜあの蜜月の頃のように彼ひとりを見彼ひとりを愛し、彼ひとりをやさしく包み込んで吾輩のかいなに眠らせてやることをしなくなったのか考えてみれば分かりそうなものだが、いかんせん彼には己を顧みるという心持はまったくないようである。嘆かわしい事だが、そもそも我々の関係というものは奥方にお膳立てされたようなもので、奥方がなくなって久しい今となっては彼への思いが、薄れこそしないものの、幾分変質しているのは否定しようのない事実である。彼も、新築時代は真白な肌が初々しく、吾輩に征服する悦びを存分に与えてくれたものであったが、つややかであった肌のあちこちにひび割れが生じ、風雪に曝されて濃灰色になってしまったモルタルのそこかしこが崩落し、往年の美少年や今いずこといった風体である。
 もっとも彼の見場がどう変化しようと、それだけをもって吾輩の心が彼から離れてしまったと決め付けるのは些か早計に過ぎるというものである。吾輩が何よりも心寂しく思うのは、彼の体が年月と共にキシキシギイギイと軋むようになるにつれ、彼の心根までもが軋みを上げているように感じられることに他ならない。
 「最近お前が色目使ってやがる二階の角部屋の若造な、あの部屋の天井の羽目板ずらして鼠の大群頭からぶっかけてやろうか」
 例えば斯様なひねこびた言葉は、若い頃の彼であれば唇にのぼすことがなかったと自信を持って言える。むしろあの頃の彼は吾輩があちらこちらを訪ねて周り見聞を広めるのをまったく喜んでさえいたのである。野々宮老の旧友の家までも足を、もとい蔦先を伸ばしたこともあった。
 悲しいことであるが、同じ植物とはいえ切り倒され木造アパートとしての道を歩んだ彼と、いまだ地面に根を張り成長を続ける吾輩とでは寿命が違ってしまっている、これは厳然たる事実なのである。彼は野々宮老と同じく、すでにその命の晩年を迎えているが、吾輩はまだまだ枯れてはいないのである。活きのよさそうな若者を見るとつい触手を伸ばさずにいられないのは自然の摂理というものなのだが、既に大地の恵みを受け取れなくなった木材の組み合わせたる彼にとって雨は養分を運ぶ恵みではなく己を痛めつける試練であり、吾輩が養分を求め、あるいは受粉させる相手を求めてあちらこちらと流離う様は、あさましいの一言で切って捨てる、忌むべき行いなのであろう。
 無論、彼にも同情すべき点は多々あることを否定するものではない。彼の言う所の、最近吾輩の情念が向いている青年は彼の若い頃の面影を幾らか宿しており、しかも彼の内部に住んでいるとなれば、彼にとってはどれほどに望んでももう戻る事のできない若い頃の自分に嫉妬しているようなものなのだから。角部屋の青年のあの吸い付くような白い肌は、新築当時の、まだ水分が充分に抜けきっていないモルタルの目眩のするような白さを思い出させずにおかない。吾輩が角部屋の青年の夢を訪い、毎夜みだらな声をあげさせてるのを、見たくなくても見させられる彼に対して欠片も罪悪感がないと言えば嘘になる。彼が嫉妬に身を捩じらせ、それがまた幽かな震動となって青年を身悶えさせる、そんな妖しくも隠微な悪循環を吾輩は総て承知の上で、今日も青年の褥に潜り込む算段を立てているのである。

 まだ背後で愚痴を連ねる彼に辟易した吾輩は、いつの間にか転寝を始めた野々宮老のもとを離れ、彼の門柱を軽く突いてやった。ものも言わずに反撃に転じた吾輩に彼は脅えたように竦み、非常階段を捻って蔦先の攻撃から身を守ろうとしたが、それこそ彼の体の隅々まで支配している吾輩から逃げられよう筈もない。せり出した門柱の表札の裏側をニ、三度擽ってやると、彼はあっけなく陥落し、すっかり体を預けきってやがてあえかな声を漏らし始めた。人間達が家鳴りと呼ぶその響きを楽しみながら、吾輩は彼の一番弱いところ、外壁と屋根の継ぎ目に蔦を這わせ、彼が訳が分からなくなるまでじっくりと甚振ってやりながら、もう一本の蔦先で窓をそうっと開け、携帯電話で何事か話していた青年の背後から忍び寄り、青年が気付くより先に衣服の下に触手を潜り込ませて行ったのであった。
11/07/16 20:27更新 / blueblack

TOP | 感想 | RSS

まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.34d