バナナプレー!
「シェアしない?」
社員食堂で賃貸情報誌を読みながら飯を食っていた時に、そう声をかけられた高橋は、目も上げずに「パス」と即答した。いくら住む所に困っていても、こいつと同居だけはごめんだ。
「つれないな」
顔を上げなくても声だけで分かるのは親しいからじゃない。コンビを組まされて半年にもなれば嫌でも覚える。確かに仕事はできる。だけど付き合いは会社だけ。一歩会社を出たら半径50メートル以内に近付きたくない。
小沢由清(おざわ・ゆきよ)という、女のような名前が全く似合わない男っぷり。今も、食堂に入って来た瞬間に女子社員の視線が集中し、それからずっと、こいつの動きに合わせて視線が移動するのが感じられる。
高橋は、自慢じゃないがウサギと亀で言えば亀タイプ。それも最終的に勝利を手にするところまでなかなか行かない要領の悪い男だ。そして小沢は居眠りをしないウサギタイプだ。それでいて同性の妬みも買わない得な性分。
高橋がこの同期の事を蛇蝎のごとく嫌うのにはそれなりの理由がある。
「通勤時間今どの位?うちからなら電車で2駅だよ」
「パスって言ってる」
「俺、料理も上手いんだよ。こないだは食わせてやれなかったけど」
ビクッと高橋の背中が緊張した。言い返そうとするのだが、言葉が出ない。
「まさかあんな所でお前に会うとは思わなかったから、こっちもちょっと焦ったな」
それはこっちのセリフだ。就職と同時に親元を離れて2年、誰にも言えずに1人で悩み続けていたのに、こんな形で露見するなんて。雑誌で調べて、なるべく会社から遠い店を選んで、勇気を振り絞って初めて行ったゲイバーで、よりにもよってこいつと会うなんて。
あの日、元々強くもない酒と、初めての男ばかりの空間とムードに酔っていい気分になっていた高橋は、隣に座った男と意気投合して、誰にも言えずにいた自分の性癖の悩みをポツリポツリと話し始めていた。顔も思い出せない男は優しく、話を聞いてくれた。酒も驕ってくれた。甘いカクテルは口当たりが良くていくらでも飲めた。段々ボーッとして、男が体を触って来るのも、ちっとも気持ち悪くなくて、ああ、やっぱり自分は男が好きだったんだと、ほんの少しの自己嫌悪と自暴自棄と、それを上回る安堵感に浸っていた。
その内男があからさまにホテルに誘って来た。そこまでの覚悟は出来てなかった高橋は、躊躇したが、立ち上がった男に手を取られて、ふらついて倒れ込んでしまった。抱き止めた男はそのまま高橋を引き摺るように店を出ようとした。
どうしよう、と狼狽しながらも、頭の隅で、もう、どうしようもないかもしれないと諦め気分になっている高橋の耳元に、男の熱い息がかかる。嫌悪感はなかった。男にすがり付いて体勢を立て直した高橋は、男の肩越しに、自分を凝視する目を見つけた。
固まってる自分に、カウンターの奥の席にいた小沢は親しげに声を掛けて来た。焦って男の腕を振りほどいたその時から、小沢は、高橋にとって、何をおいても忌避すべき男になった。
「・・・口止めなら、必要ない」
「そんなつもりじゃないよ」
「じゃ、どんなつもりだって言うんだ」
「高橋のこと、脅そうと思って」
思わず顔を上げると、屈託ない笑顔で小沢が笑っていた。
「どう言う事だ」
「どう言うも何も、言葉通りだよ。ちょうどペットが欲しかったんだ」
「━━ペット?」
「そう。俺の言う事を何でも聞く可愛いペット。高橋がペットになってくれたら最高だと思ってたんだ。どうやったら俺の物にできるか色々考えてたら、お前の方から飛んで火に入る夏の虫って奴。新しい店を開拓しようと思ってたまたま行ったんだけど、ラッキーだったな」
「・・・」
「大人しそうな顔して、夜毎に男を漁ってるなんて噂立てられたくないだろう?」
「違うっ。あれは・・・あの日が初めてだっ」
「何人が信じてくれるか試してみる?」
「・・そ、そんな事言ったって、お前だって同じ立場じゃないか」
「本当にそう思う?」
キラリと光る小沢の目を見て、高橋は確信した。こいつならきっと、ゲイバーにいた事も、何か上手い言い訳を思い付くだろう。自分とは違う。問いつめられたらきっと自分はパニックになって何も言えなくなる。現に今だって、余裕綽々の小沢に何も言い返せない。
「だから高橋、うちに来いよ。バラされたくないだろう?だからシェアしよう━━秘密を」
荷物は殆どない。家具は揃っているからと言われて、指示されるまま売り払ってしまった。スポーツバッグとトランク1つで高橋は小沢のマンションに移った。
「服を脱いで」
「靴を脱いで」と言われたのかと思って、高橋は頷いて靴を脱いで揃えた。そして中へ入ろうとした高橋の頬を小沢が打った。
「な━━」
「聞こえなかったの?服を脱ぎなさい」
笑顔で繰り返す小沢に、ゾッとする物を感じながらも高橋は抵抗を試みた。
「な、なにを言ってるんだ」
「聞き分けのない子だね。それとも脱がせて欲しいの?」
小沢がツカツカと歩みよって来て、高橋の胸倉を両手で掴んだ。グイッと引くと、勢いでボタンが飛ぶ。
「何をする!」
叫んだ高橋の頬が打たれた。
「もう忘れたの?お前はペットだよ。ここに来る事でお前は俺のペットになる事を承諾したんだ」
反射的に逃げようとした高橋の足を払う。バランスを崩した体を小沢が引き寄せて抱き込む。見た目より力強い腕。あの時の男より、広い胸板。━━無意識の内に競べている自分に狼狽する。絡められた足の間で、高橋のペニスは立ち上がりかけていた。逸早く気付いた小沢がフッと笑う。
「ほら、お前だって期待してるんじゃないか」
「違、違う━━ッ」
グリグリと擦り付けられて、今まで知らなかった感触に息を飲む。仰け反った喉元をぺロリと舐められる。
「夜な夜な男を漁ってたんだろう?でももう今日からは俺の専属だよ。淋しい思いはさせないから安心していい。1人じゃ物足りないなら友達を呼んでやってもいい。大事なペットだからね。壊したりはしない」
引き倒されて服を毟り取られ、裸にされた。手際の良さに、高橋は、小沢がこういう事に慣れているのを確信する。プレー用の道具だろうか、怪我をしないように内側に布を当ててある手錠を後ろ手にはめられて、ゴロンと転がされる。板張りの床が冷たい。
反射的にギュッと目を瞑ると、パシッと頬を叩かれた。
「ちゃんと目を開けて俺を見ろ」
恐る恐る目を開ける。地べたに近い位置から見上げる小沢の姿は、聳え立つ様で、普段、会社で見るより数段大きく圧迫感を伴って高橋の目に映った。片膝をついて覗き込む顔が、照明を遮って、逆光のせいで顔に影が落ちて、サスペンスドラマの悪役の様だ。思わず息を飲む。
「どうした。縮こまってるじゃないか」
セリフと共に握られて、ビクッと体を固くする。やわやわとあやすように揉まれて、息が上がる。
「や、やめ、て・・・やめて、くれ」
「それが主人に対する口の聞き方か?」
膝で脇腹を突かれる。昨日までただの同僚だった筈の男との間に、いつの間にか、強固な身分差が出来ている事に気付かされた。
高橋は、もう小沢に逆らえない。
きっと、たとえ手錠を外されても。
もう、囚われてしまっている。
「あ、ぁあ・・・許して・・くだ、さい」
高橋は、彼の頭上に君臨する支配者に許しを請うた。
引き攣る様な、声にならない悲鳴がひっきりなしに高橋の喉から洩れる。小沢は薄く笑いを浮かべながら高橋の苦悶の表情を楽しんでいる。
あの後、小沢は、敬語がきちんと使えた褒美だと言って、高橋に首輪を付けた。そして鎖を繋いで寝室に引き摺って行ったのだ。ベッドボードに鎖を引っ掛け、更にその先を手錠に繋がれると、高橋は、仰向けになっても、俯せになっても苦しく、体を横に向け、何とか楽な姿勢になろうともがいた。そんな様子を、小沢は面白い物を見る目で見ていたが、やがて右足首を掴んで、グイと横に開いた。
「な、何・・・あっ」
膝を持ち上げられ、胸に付くほど折り曲げさせられる。太股にベルトが巻かれ、足首にも巻き付けられ、膝を折った形で固定される。次いで左足も。
「ほら、これでいい」
小沢が膝に手をかけて足を開かせた。それから棒のような物を取り出して太股のベルトに取り付けると、もう足が閉じられなくなる。ひんやりとした外気に触れた陰嚢がキュッと縮こまる。視線に晒されて、恐怖だけではない、得体の知れない感覚に高橋の頬が赤く染まった。
「あとは、これを付ければ準備は完了だよ」
黒い革の、いかにも禍々しい形の装具。小沢はニッコリ笑って言った。
「主人の許可無しにイかない様にするリングだよ。これを付けて、後ろをたっぷり可愛がってやる」
悲痛な呻き声を楽しむ様に、小沢は高橋の体内を指で蹂躙する。クリームが体温で温まって下品な音を立て、高橋は汗だくになりながら身動きの取れない体を、それでも少しでも小沢の指から遠ざけようと無駄な努力をしていた。
「狭いな。最近御無沙汰だったのか?」
「ちが、違う・・・ぅっ、はんっ」
ビクッと跳ねる体を押さえ付けて、小沢が更に深く抉る。ひどい痛みと、違和感の中に、僅かに交じるそれ以外の感触。それを追いかけたい様な、その正体を知りたくない様な、自分でもどうしていいか分からない。声を出さないようにしているのに、鼻声が洩れるのを止められない。
ガチャガチャと鎖が鳴る。開かれた足を閉じようとして、腿の筋肉が引き攣る。拘束具に自由を奪われて、感じるだけの生き物に━━小沢の、ペットにされながら、高橋は、必死に理性を保とうとしていた。流されそうになる自分を、唇を噛み、首を振る事で、何とか今の、この場所に留めようとしていた。
そうでなければ、本当に、人間でなくなってしまう━━
「ココだな?」
「んんっ」
両手を握り締め、堪える。俺はペットじゃない。こいつのペットなんかじゃない。屈したりしない。
「気持ちいいだろう」
ブルブルと震えるペニスから涙を零しながら、高橋は抵抗する。違う。これは違う。自分は感じてなんかいない。これは痛いだけだ。気持ち悪いだけだ。
そんな様子を伺っていた小沢が、フッと動きを止めた。
高橋は、詰めていた息を少しずつ吐き出す。もしかして、諦めてくれるのだろうか?遊んでいても、面白くないから、解放してくれるのだろうか?
おずおずと、小沢の方に、顔を向けた高橋は、次の瞬間、目を疑った。小沢が、顔を近付けてきたからだ。恋人にする様に、高橋の顎に手をかけて上を向かせ、そう、まるで、キスをするように━━
「っ!!」
反射的に高橋は身を引いた。弾みで小沢の手が高橋の顎から外れる。
高橋の本能的な動きに、小沢が、虚を突かれたように動きを止めた。片眉が上がる。
「━━嫌なのか」
低い声。その意味を問うより先に、首輪に付けられた鎖をグイッと引かれ、顔をベッドマットに押し付けられる。
「俺には、触られたくない?」
頭がクラクラする。それでも何とか頷く。解放して欲しい。触られたくない。体内で指を曲げないで欲しい。擦り付けるような動きに、腰が揺れそうになる。こんなのは自分じゃない。我慢できなくなる浅ましい生き物が自分だなんて思いたくない。
こんな、自分を━━知りたくない。
「・・ぁ・・・っさ、触られたく・・・・な、━━ぁあああっ」
いつの間にか本数を増やしていた指が一気に抜かれた。ビクビクッと腹が痙攣した。リングできつく戒められていなければ間違いなく達していただろう。
「そう。他の男にはさせても、俺にはやられたくないんだ」
違う。他の男にも、誰にもやられたくない。初めての感触は強烈過ぎて声も出ない。
答えられないでいる高橋を、小沢はどう思ったのか、体を起こすと、ベッドを降りた。そのままベッドに繋がれた高橋を顧みる事なく、部屋を出て行ってしまった。
「あ・・・小沢・・」
惨めな恰好で拘束されたまま、閉ざされた扉の向こうを見遣るが、答えは帰って来ない。
涙が溢れて頬を伝う。微かにしゃくりあげていた高橋は、その内ある事に気付いて狼狽した。
指を抜かれた後、圧迫感と痛みが治まって来るにつれ、むず痒い疼きが湧いて来たのだ。痛みに紛れていた感触が、それを意識した途端に浮上して来て、下半身全体に慄きをもたらし始めている。体の表面に流れる汗の感触さえもが、性感を煽る道具に掏り替わった様だ。
「っは・・」
慄く体に煽られて吐息混じりの掠れ声を上げながら、ベッドマットに腰を擦り付ける。体を鎮めたくてそうしているのに、いつしか別の動きになっている事に、高橋は気付けないでいた。手錠がガチャガチャと耳障りな音を立てる。不自然な形に拘束された体のあちこちが痛む。
「小沢・・・・小沢、助けて・・・」
触って。
口に出せない願いが溢れそうになって、ギュッと目を閉じる。ブルブルと首を振る。
「・・・小沢ぁ・・」
嘆願に答える様に腰に冷たい物が当てられた。それが何なのか考えるより先に、スルッと脇腹を撫で上げる様に動かされ、堪らず高橋は高い声を迸らせてしまった。
「あっ、んぁああああ!」
霞んだ視界の端に小沢の姿が映った。いつ戻って来たのだろうか。表情は分からない。先程までと違って、距離が遠い。体に触れているのも、小沢の手ではない。体温がない、冷たい物・・・何?
「いつ主人の名を呼ぶ事を許した?」
冷たい声。
「主人の指も要らないんだろう?お前は。つくづくペット失格だ」
尾てい骨に、ヌルリとした冷たい物が当たる。ビクッとして、振り返ろうとした首を押さえ付けられ、動きを封じられる。
「指から始めて新しい主人を教え込んで・・・とことん躾けてやろうと思っていたのに。ペット以前の野良だったとはね。餌付けから始めないといけないようだ」
ズルリ。
「あああ!!」
異様な感触。ヌルヌルする・・・何?
太い、冷たい物が、後ろをこじ開けて入り込んで来る。感触がおぞましい。太いが、表面が微妙に柔らかくぬめっていて、入ってくるのを止められない。
「美味いか?」
嘲笑を含んだ声が、押さえ付けられた頭の上から降って来る。体温を感じられない接触。冷たく滑る物が、より深くに入って来て、やがて、指が探り当てた箇所を捉えた。そこで、ピタリと止まる。
「っく、ぁ・・っ」
「美味いなら美味いと言え」
「ゃ、っ何・・・?」
「まだ口の聞き方を覚えられないのか?」
グッと押し込まれて息が上がる。圧迫感が酷く苦しい。
「腹一杯になるまで食わせてやる。それとも足りないのか?」
「あ、あぁっ」
ビクンビクンと体が震える。冷たかったそれが徐々に体温を移している。感触に、反射的に締めつけると、体内の物がくびられるような異様な動きを見せる。
「な、何・・出して、出してください」
苦しい息の下、涙を零しながらの嘆願は、冷たい声で切り捨てられた。
「要らないなら自分で出せばいい」
「何・・なんですか。これ・・・ぁ、っ・・苦し、い」
「餌だよ。言っただろうが。餌付けから始めるってな。誰が主人かを教えるのには一番効果的だろう」
「あ、んっ」
入れられた物を、グルリと回された。衝撃に体が跳ねる。
「皮は剥いてあるからな。食べやすいだろう」
声が遠い。霞む意識の遠くで、非情な声だけが聞こえる。
触れられないまま、声だけが、高橋を支配していた。
「どうだ?もう一本欲しいか?ちゃんと答えろ」
社員食堂で賃貸情報誌を読みながら飯を食っていた時に、そう声をかけられた高橋は、目も上げずに「パス」と即答した。いくら住む所に困っていても、こいつと同居だけはごめんだ。
「つれないな」
顔を上げなくても声だけで分かるのは親しいからじゃない。コンビを組まされて半年にもなれば嫌でも覚える。確かに仕事はできる。だけど付き合いは会社だけ。一歩会社を出たら半径50メートル以内に近付きたくない。
小沢由清(おざわ・ゆきよ)という、女のような名前が全く似合わない男っぷり。今も、食堂に入って来た瞬間に女子社員の視線が集中し、それからずっと、こいつの動きに合わせて視線が移動するのが感じられる。
高橋は、自慢じゃないがウサギと亀で言えば亀タイプ。それも最終的に勝利を手にするところまでなかなか行かない要領の悪い男だ。そして小沢は居眠りをしないウサギタイプだ。それでいて同性の妬みも買わない得な性分。
高橋がこの同期の事を蛇蝎のごとく嫌うのにはそれなりの理由がある。
「通勤時間今どの位?うちからなら電車で2駅だよ」
「パスって言ってる」
「俺、料理も上手いんだよ。こないだは食わせてやれなかったけど」
ビクッと高橋の背中が緊張した。言い返そうとするのだが、言葉が出ない。
「まさかあんな所でお前に会うとは思わなかったから、こっちもちょっと焦ったな」
それはこっちのセリフだ。就職と同時に親元を離れて2年、誰にも言えずに1人で悩み続けていたのに、こんな形で露見するなんて。雑誌で調べて、なるべく会社から遠い店を選んで、勇気を振り絞って初めて行ったゲイバーで、よりにもよってこいつと会うなんて。
あの日、元々強くもない酒と、初めての男ばかりの空間とムードに酔っていい気分になっていた高橋は、隣に座った男と意気投合して、誰にも言えずにいた自分の性癖の悩みをポツリポツリと話し始めていた。顔も思い出せない男は優しく、話を聞いてくれた。酒も驕ってくれた。甘いカクテルは口当たりが良くていくらでも飲めた。段々ボーッとして、男が体を触って来るのも、ちっとも気持ち悪くなくて、ああ、やっぱり自分は男が好きだったんだと、ほんの少しの自己嫌悪と自暴自棄と、それを上回る安堵感に浸っていた。
その内男があからさまにホテルに誘って来た。そこまでの覚悟は出来てなかった高橋は、躊躇したが、立ち上がった男に手を取られて、ふらついて倒れ込んでしまった。抱き止めた男はそのまま高橋を引き摺るように店を出ようとした。
どうしよう、と狼狽しながらも、頭の隅で、もう、どうしようもないかもしれないと諦め気分になっている高橋の耳元に、男の熱い息がかかる。嫌悪感はなかった。男にすがり付いて体勢を立て直した高橋は、男の肩越しに、自分を凝視する目を見つけた。
固まってる自分に、カウンターの奥の席にいた小沢は親しげに声を掛けて来た。焦って男の腕を振りほどいたその時から、小沢は、高橋にとって、何をおいても忌避すべき男になった。
「・・・口止めなら、必要ない」
「そんなつもりじゃないよ」
「じゃ、どんなつもりだって言うんだ」
「高橋のこと、脅そうと思って」
思わず顔を上げると、屈託ない笑顔で小沢が笑っていた。
「どう言う事だ」
「どう言うも何も、言葉通りだよ。ちょうどペットが欲しかったんだ」
「━━ペット?」
「そう。俺の言う事を何でも聞く可愛いペット。高橋がペットになってくれたら最高だと思ってたんだ。どうやったら俺の物にできるか色々考えてたら、お前の方から飛んで火に入る夏の虫って奴。新しい店を開拓しようと思ってたまたま行ったんだけど、ラッキーだったな」
「・・・」
「大人しそうな顔して、夜毎に男を漁ってるなんて噂立てられたくないだろう?」
「違うっ。あれは・・・あの日が初めてだっ」
「何人が信じてくれるか試してみる?」
「・・そ、そんな事言ったって、お前だって同じ立場じゃないか」
「本当にそう思う?」
キラリと光る小沢の目を見て、高橋は確信した。こいつならきっと、ゲイバーにいた事も、何か上手い言い訳を思い付くだろう。自分とは違う。問いつめられたらきっと自分はパニックになって何も言えなくなる。現に今だって、余裕綽々の小沢に何も言い返せない。
「だから高橋、うちに来いよ。バラされたくないだろう?だからシェアしよう━━秘密を」
荷物は殆どない。家具は揃っているからと言われて、指示されるまま売り払ってしまった。スポーツバッグとトランク1つで高橋は小沢のマンションに移った。
「服を脱いで」
「靴を脱いで」と言われたのかと思って、高橋は頷いて靴を脱いで揃えた。そして中へ入ろうとした高橋の頬を小沢が打った。
「な━━」
「聞こえなかったの?服を脱ぎなさい」
笑顔で繰り返す小沢に、ゾッとする物を感じながらも高橋は抵抗を試みた。
「な、なにを言ってるんだ」
「聞き分けのない子だね。それとも脱がせて欲しいの?」
小沢がツカツカと歩みよって来て、高橋の胸倉を両手で掴んだ。グイッと引くと、勢いでボタンが飛ぶ。
「何をする!」
叫んだ高橋の頬が打たれた。
「もう忘れたの?お前はペットだよ。ここに来る事でお前は俺のペットになる事を承諾したんだ」
反射的に逃げようとした高橋の足を払う。バランスを崩した体を小沢が引き寄せて抱き込む。見た目より力強い腕。あの時の男より、広い胸板。━━無意識の内に競べている自分に狼狽する。絡められた足の間で、高橋のペニスは立ち上がりかけていた。逸早く気付いた小沢がフッと笑う。
「ほら、お前だって期待してるんじゃないか」
「違、違う━━ッ」
グリグリと擦り付けられて、今まで知らなかった感触に息を飲む。仰け反った喉元をぺロリと舐められる。
「夜な夜な男を漁ってたんだろう?でももう今日からは俺の専属だよ。淋しい思いはさせないから安心していい。1人じゃ物足りないなら友達を呼んでやってもいい。大事なペットだからね。壊したりはしない」
引き倒されて服を毟り取られ、裸にされた。手際の良さに、高橋は、小沢がこういう事に慣れているのを確信する。プレー用の道具だろうか、怪我をしないように内側に布を当ててある手錠を後ろ手にはめられて、ゴロンと転がされる。板張りの床が冷たい。
反射的にギュッと目を瞑ると、パシッと頬を叩かれた。
「ちゃんと目を開けて俺を見ろ」
恐る恐る目を開ける。地べたに近い位置から見上げる小沢の姿は、聳え立つ様で、普段、会社で見るより数段大きく圧迫感を伴って高橋の目に映った。片膝をついて覗き込む顔が、照明を遮って、逆光のせいで顔に影が落ちて、サスペンスドラマの悪役の様だ。思わず息を飲む。
「どうした。縮こまってるじゃないか」
セリフと共に握られて、ビクッと体を固くする。やわやわとあやすように揉まれて、息が上がる。
「や、やめ、て・・・やめて、くれ」
「それが主人に対する口の聞き方か?」
膝で脇腹を突かれる。昨日までただの同僚だった筈の男との間に、いつの間にか、強固な身分差が出来ている事に気付かされた。
高橋は、もう小沢に逆らえない。
きっと、たとえ手錠を外されても。
もう、囚われてしまっている。
「あ、ぁあ・・・許して・・くだ、さい」
高橋は、彼の頭上に君臨する支配者に許しを請うた。
引き攣る様な、声にならない悲鳴がひっきりなしに高橋の喉から洩れる。小沢は薄く笑いを浮かべながら高橋の苦悶の表情を楽しんでいる。
あの後、小沢は、敬語がきちんと使えた褒美だと言って、高橋に首輪を付けた。そして鎖を繋いで寝室に引き摺って行ったのだ。ベッドボードに鎖を引っ掛け、更にその先を手錠に繋がれると、高橋は、仰向けになっても、俯せになっても苦しく、体を横に向け、何とか楽な姿勢になろうともがいた。そんな様子を、小沢は面白い物を見る目で見ていたが、やがて右足首を掴んで、グイと横に開いた。
「な、何・・・あっ」
膝を持ち上げられ、胸に付くほど折り曲げさせられる。太股にベルトが巻かれ、足首にも巻き付けられ、膝を折った形で固定される。次いで左足も。
「ほら、これでいい」
小沢が膝に手をかけて足を開かせた。それから棒のような物を取り出して太股のベルトに取り付けると、もう足が閉じられなくなる。ひんやりとした外気に触れた陰嚢がキュッと縮こまる。視線に晒されて、恐怖だけではない、得体の知れない感覚に高橋の頬が赤く染まった。
「あとは、これを付ければ準備は完了だよ」
黒い革の、いかにも禍々しい形の装具。小沢はニッコリ笑って言った。
「主人の許可無しにイかない様にするリングだよ。これを付けて、後ろをたっぷり可愛がってやる」
悲痛な呻き声を楽しむ様に、小沢は高橋の体内を指で蹂躙する。クリームが体温で温まって下品な音を立て、高橋は汗だくになりながら身動きの取れない体を、それでも少しでも小沢の指から遠ざけようと無駄な努力をしていた。
「狭いな。最近御無沙汰だったのか?」
「ちが、違う・・・ぅっ、はんっ」
ビクッと跳ねる体を押さえ付けて、小沢が更に深く抉る。ひどい痛みと、違和感の中に、僅かに交じるそれ以外の感触。それを追いかけたい様な、その正体を知りたくない様な、自分でもどうしていいか分からない。声を出さないようにしているのに、鼻声が洩れるのを止められない。
ガチャガチャと鎖が鳴る。開かれた足を閉じようとして、腿の筋肉が引き攣る。拘束具に自由を奪われて、感じるだけの生き物に━━小沢の、ペットにされながら、高橋は、必死に理性を保とうとしていた。流されそうになる自分を、唇を噛み、首を振る事で、何とか今の、この場所に留めようとしていた。
そうでなければ、本当に、人間でなくなってしまう━━
「ココだな?」
「んんっ」
両手を握り締め、堪える。俺はペットじゃない。こいつのペットなんかじゃない。屈したりしない。
「気持ちいいだろう」
ブルブルと震えるペニスから涙を零しながら、高橋は抵抗する。違う。これは違う。自分は感じてなんかいない。これは痛いだけだ。気持ち悪いだけだ。
そんな様子を伺っていた小沢が、フッと動きを止めた。
高橋は、詰めていた息を少しずつ吐き出す。もしかして、諦めてくれるのだろうか?遊んでいても、面白くないから、解放してくれるのだろうか?
おずおずと、小沢の方に、顔を向けた高橋は、次の瞬間、目を疑った。小沢が、顔を近付けてきたからだ。恋人にする様に、高橋の顎に手をかけて上を向かせ、そう、まるで、キスをするように━━
「っ!!」
反射的に高橋は身を引いた。弾みで小沢の手が高橋の顎から外れる。
高橋の本能的な動きに、小沢が、虚を突かれたように動きを止めた。片眉が上がる。
「━━嫌なのか」
低い声。その意味を問うより先に、首輪に付けられた鎖をグイッと引かれ、顔をベッドマットに押し付けられる。
「俺には、触られたくない?」
頭がクラクラする。それでも何とか頷く。解放して欲しい。触られたくない。体内で指を曲げないで欲しい。擦り付けるような動きに、腰が揺れそうになる。こんなのは自分じゃない。我慢できなくなる浅ましい生き物が自分だなんて思いたくない。
こんな、自分を━━知りたくない。
「・・ぁ・・・っさ、触られたく・・・・な、━━ぁあああっ」
いつの間にか本数を増やしていた指が一気に抜かれた。ビクビクッと腹が痙攣した。リングできつく戒められていなければ間違いなく達していただろう。
「そう。他の男にはさせても、俺にはやられたくないんだ」
違う。他の男にも、誰にもやられたくない。初めての感触は強烈過ぎて声も出ない。
答えられないでいる高橋を、小沢はどう思ったのか、体を起こすと、ベッドを降りた。そのままベッドに繋がれた高橋を顧みる事なく、部屋を出て行ってしまった。
「あ・・・小沢・・」
惨めな恰好で拘束されたまま、閉ざされた扉の向こうを見遣るが、答えは帰って来ない。
涙が溢れて頬を伝う。微かにしゃくりあげていた高橋は、その内ある事に気付いて狼狽した。
指を抜かれた後、圧迫感と痛みが治まって来るにつれ、むず痒い疼きが湧いて来たのだ。痛みに紛れていた感触が、それを意識した途端に浮上して来て、下半身全体に慄きをもたらし始めている。体の表面に流れる汗の感触さえもが、性感を煽る道具に掏り替わった様だ。
「っは・・」
慄く体に煽られて吐息混じりの掠れ声を上げながら、ベッドマットに腰を擦り付ける。体を鎮めたくてそうしているのに、いつしか別の動きになっている事に、高橋は気付けないでいた。手錠がガチャガチャと耳障りな音を立てる。不自然な形に拘束された体のあちこちが痛む。
「小沢・・・・小沢、助けて・・・」
触って。
口に出せない願いが溢れそうになって、ギュッと目を閉じる。ブルブルと首を振る。
「・・・小沢ぁ・・」
嘆願に答える様に腰に冷たい物が当てられた。それが何なのか考えるより先に、スルッと脇腹を撫で上げる様に動かされ、堪らず高橋は高い声を迸らせてしまった。
「あっ、んぁああああ!」
霞んだ視界の端に小沢の姿が映った。いつ戻って来たのだろうか。表情は分からない。先程までと違って、距離が遠い。体に触れているのも、小沢の手ではない。体温がない、冷たい物・・・何?
「いつ主人の名を呼ぶ事を許した?」
冷たい声。
「主人の指も要らないんだろう?お前は。つくづくペット失格だ」
尾てい骨に、ヌルリとした冷たい物が当たる。ビクッとして、振り返ろうとした首を押さえ付けられ、動きを封じられる。
「指から始めて新しい主人を教え込んで・・・とことん躾けてやろうと思っていたのに。ペット以前の野良だったとはね。餌付けから始めないといけないようだ」
ズルリ。
「あああ!!」
異様な感触。ヌルヌルする・・・何?
太い、冷たい物が、後ろをこじ開けて入り込んで来る。感触がおぞましい。太いが、表面が微妙に柔らかくぬめっていて、入ってくるのを止められない。
「美味いか?」
嘲笑を含んだ声が、押さえ付けられた頭の上から降って来る。体温を感じられない接触。冷たく滑る物が、より深くに入って来て、やがて、指が探り当てた箇所を捉えた。そこで、ピタリと止まる。
「っく、ぁ・・っ」
「美味いなら美味いと言え」
「ゃ、っ何・・・?」
「まだ口の聞き方を覚えられないのか?」
グッと押し込まれて息が上がる。圧迫感が酷く苦しい。
「腹一杯になるまで食わせてやる。それとも足りないのか?」
「あ、あぁっ」
ビクンビクンと体が震える。冷たかったそれが徐々に体温を移している。感触に、反射的に締めつけると、体内の物がくびられるような異様な動きを見せる。
「な、何・・出して、出してください」
苦しい息の下、涙を零しながらの嘆願は、冷たい声で切り捨てられた。
「要らないなら自分で出せばいい」
「何・・なんですか。これ・・・ぁ、っ・・苦し、い」
「餌だよ。言っただろうが。餌付けから始めるってな。誰が主人かを教えるのには一番効果的だろう」
「あ、んっ」
入れられた物を、グルリと回された。衝撃に体が跳ねる。
「皮は剥いてあるからな。食べやすいだろう」
声が遠い。霞む意識の遠くで、非情な声だけが聞こえる。
触れられないまま、声だけが、高橋を支配していた。
「どうだ?もう一本欲しいか?ちゃんと答えろ」
11/07/16 20:04更新 / blueblack