待ちきれずに玄関エチー
ガターン!
大きな音と共に古い学生アパートのドアが叩き付けられるように開き、小さな部屋に2つの人影が転がり込んで来た。
「ちょっ、ちょっと倉田、ヤバイって…!」
焦った声に被せるように、
「るせ、大人しくヤらせろ」
「倉田、倉田!待てって…」
「待てねぇ」
「倉田っ!ヤだっ」
強姦される女のような悲鳴を上げているのは村田誠。中規模の翻訳会社勤めの彼は、社会人留学の社内試験に合格し、現在ここワシントン州の通訳者養成学校で3ヶ月間のプロフェッショナルコースを受講している。
190cm近い長身にしっかり筋肉のついた巨体はスーツがまるで似合わない、通訳士というよりスポーツマンタイプだが普段は至って控え目で、それが声にも出る為おどおどした印象を与えてしまうのが玉に疵、殊に話し方や声質も重要なポイントになり得る通訳士にはマイナスになる事は自覚しているので、正規の授業の他にスピーチの特別レッスンも受けている。
そんな村田を壁に押し付けて抵抗を阻もうとしているのはルームメイトの倉田真人。フリーの同時通訳だったが休職して単身留学、現在会議通訳士コースの2年生。村田と同い年だが体格は兄弟、いや親子程も違う。165cm53kgの華奢な体は村田の手の上にヒョイと乗せられそうだ。そのせいで却って村田が遠慮してしまい、今も押さえ込むと言うより縋り付くような倉田を引き離せない。
村田誠(むらたまこと)と倉田真人(くらたまこと)。漢字の字面は似ていないが、ローマ字書きすると名前が1字違いになる。それでコースを取り違えられたことがきっかけで知り合い、知り合ってすぐにこういう仲になった。
「ヤらせろよ。溜まってんだよ」
「倉田、今は駄目だ。ケーキが、あっ頼むから…っう」
村田の手には白いケーキの箱。潰れそうになるのもおかまいなしに倉田が村田の首に手をかけて強引に引っ張り唇を重ねる。開いたままの目は見慣れない色に煌めいている。こんな時だというのに村田はその瞳の光に見蕩れた。
「倉…何だその目…灰色?」
喘ぐように訪ねると倉田は唇の端だけで笑ってみせた。
「銀だよ。カラーコンタクト。似合うだろ、俺イイ男だから。だからヤらせろ」
「う、っん…む」
答える間もなく唇を重ねられ貪られる。華奢で童顔な倉田には、確かにそういうオモチャめいた装飾がよく似合う。ドールハウスに入れられた人形のボーイフレンドのような作り物めいた綺麗さは銀の目どころか背中に翼を背負ってもサマになるんじゃないかと村田は思う。
ケーキはバスで20分程言った所にあるパティサリーで倉田に選ばせた物だ。「どういう風の吹き回しだ?」と倉田は言っていたが。だって、今日は倉田の誕生日なのだから。
付き合い出してすぐに倉田の誕生日を知った村田は、殊勝にも思い出深いセッティングをしてやろうとない知恵を絞ったのだ。ケーキだって近所の店じゃなく、ちゃんと倉田の好きな店をリサーチした。それをこの男は台なしにしようとしてやがる。
こ、の、駄天使がっ!
「似合う。似合うっから、だから倉田、ちょっと待…ぅわっ!」
ボンヤリしていた村田は突然軸足を横に蹴られ倒れそうになった。一歩足を踏み出して危うく踏ん張った所で、足の間にスルリと入り込んで来た体がピタリと密着し、白く細い手がジッパーにかかった。あっと言う間もなく引き下げられ下着の中に手をつっこまれる。
「倉田、倉…ぁ…っ」
「なあ、手と口とどっちがいい?ヤってやるよ。大サービス」
耳の下を柔らかい髪がくすぐるように撫で、濡れた下が首筋を辿る。手は形を確かめるように村田のペニスをまさぐり、時々指が遊ぶ。
「頼むよ村田。5日もお前の声さえ聞けなくて、どうにかなりそうなんだよ…」
殊勝な言葉を紡ぐ口が首筋を滑り、カリッと歯を立てた。我慢してたのはこっちもだと言いたくなるのを堪えて村田が言う。
「お、俺だって、でも頼むから、ちょっと待てって…ぅんっ」
「待てねえ」
5日の空白は村田のせいではない。テレビ局の日本語放送の同時通訳のアルバイトもしている倉田が、某国のクーデターのリポートで5日テレビ局に泊まり込みアパートに帰って来なかったのだ。
この分では今日が自分の誕生日だという事も忘れているに違いない。
「倉田、待、ああっ」
「ほら、お前のだって…イヤがってねぇんじゃん」
「…っ」
「ピクピクしてんぜ…」
アメリカ人の中に交じってさえ実年齢より老けて見られる村田と違って、バーで酒を頼んでも身分証提示を求められる倉田の声は甘い。疾うに声変わりを済ませた筈なのにいつまでも澄んでいて、その声でこんなイヤらしい言葉を紡がれると倒錯的な気分になってくる。
制止を求める声は、倉田が村田のペニスに吸い付いた事で消し飛んでしまった。背中を壁に預けたままぎゅっときつく目を閉じ、のけぞって頭を振る。
「倉田、倉田…せめて、ケーキ、…冷蔵庫、に」
哀願にも似た声に答えるのは、笑いの交じった吐息と滑る舌の攻撃。村田の手からケーキの箱が落ち、嫌な音を立てる。しかし村田の両手はケーキを拾うより倉田の頭を押さえてより深くに突き入れる為に動いていた。自己嫌悪は一瞬で霧散してしまう。見上げる銀色の目が、艶かしすぎて。
「…っ…」
「う、…」
言葉にならない感情の迸りが脊髄を駆け抜ける。倉田もその瞬間ばかりはきつく目を閉じて、喉の奥深くに流し込まれるものをすべて、受け止めた。
「…よかったろ…え、ぅわ…っ?!」
脱力して今にも壁に背中を預けたままずり落ちそうになっていた村田が、急に足の間に跪いていた細い体を引き摺り上げて、抗う間も与えずに唇にむしゃぶりつく。精液の味のするキスは長く続いた。そう、とても長く━━倉田の体から芯が抜かれたように、崩れ落ちそうになるまで。
「村田、あ…」
「倉田…」
さっきまでの勢いはどこへやら、急に脅える小兎のような目になった倉田の前をはだけ、胸と言わず腹と言わず噛み付かんばかりの勢いでキスを送る。小さい声で喘ぎのけぞる喉元にも食らい付く。ふっと視線が絡んだ瞬間、倉田の目がまた色を変えた。
「やっとキレたな、お前…」
喉を鳴らす猫のような満足げな笑みを浮かべて、村田が初めて欲望を感じた男は彼にすべてを委ねる。
「ここがどこだとか、なんだとか、御託並べるお前は見たくねぇんだよ。俺だけ見て、俺の事だけで頭ん中一杯にしてくれよ…」
それが屠られる供物の最期の言葉になった。
日本の家と違い、靴を脱がないで上がるアメリカの家の床は、お世辞にも綺麗とは言えない。いつもならベッドかソファーで、そうでなくてもせめて敷く物を用意するのだが、今日はその余裕さえない。
オートロックとはいえチェーンすらかけていないドアは安普請だけあってひどく薄い。向こうに人でも立っていれば、扉一枚隔てたこちら側で何が起こっているか逐一知る事ができるだろう。何しろ村田はドアに倉田を押しつけて事に及ぼうとしているのだ。
「痛い、痛っ、村田、ちょっと…」
「待たない」
「違っ、背中が、ノブに当たるっから、んあぅ、…ああ!」
潤滑剤もないままに押し入って来る指が軋んで痛みと痺れと、それから隠しようもない疼きを呼び起こす。ズボンを片足だけ抜かれ、膝裏から抱え上げられた姿勢は身長差もあって倉田にはかなりの負担だが、彼は痛み以上に喜びを以て苦痛を受け入れていた。時折ごくかすかに、わざとタイミングをはずすように掠める前立腺への刺激がたまらない。
いつもはどこか遠慮がちに、やさしく包み込むように、己の快楽より倉田の反応を優先する太い腕が、今日は彼を捻じ伏せ、引き裂く為に動いている。
この男に殺される━━それは、倒錯的に甘美な充足感だった。
村田は優しい。自分よりも体の小さい倉田を労り、慈しみ、精巧な細工物を扱うように抱く。それは確かにひたひたと寄せる細波のような快感をもたらすが、それだけでは足りない時がある。5日会っていなかったからだけではない。初めて出会った時から倉田は、愛されるだけではなく、求められたいと━━壊してしまいたい程に狂おしく求められたいと、思っていた。
「…村田、村田…っひ、んっ」
もっと、と告げようとした舌が凍る。腹に付く程に反り返っていたペニスを扱くように密着した村田の腹が擦り上げ、息さえも止まる。
割り込んだ膝に乗せられるように腰を揺すり立てられ、既に足は床についていない。ガクガクと揺れる体は村田の指が抉るように前立腺を嬲る度にビクン、ビクンと強張り、それでもなお欲しがるように指を食い絞める。
「村田、っも、もう入れ…」
「うるさい。だまって感じてろ」
乳首をひねられて悲鳴が上がる。
「声で聞くより、ココの反応で聞く方がいい…」
言うなりキスされ、そのままペニスに絡み付いた手が先走りを塗り込めるように蠢き、前立腺を責める指も激しさを増す。もっと欲しいとねだりたいのに、唇は村田の唇で塞がれて、何一つ倉田の願うようにはならなくなる。
それが、堪らなく幸せだと思ってしまう腐っている自分がいる。
倉田の望みではなく、それが村田の希求だと感じられるから。倉田が欲しがるからではなく、村田が、自分からしたくて、倉田がどう思おうが関係なくこうしていると感じられるから。半裸で、服を着たままの村田にいいようにされて、恥ずかしいと思うより嬉しくて涙が溢れてくる。声も上げさせてもらえず、ただ村田の手と指に、揺すり上げて来る膝に、村田の全てに、感じるだけの生き物になって。
「目、開けろ」
涙の滲む瞳で村田を睨む。救いを求めて。しかし与えられたのは手酷い裏切りだった。
村田は倉田の顎を掴んで顔を上げさせると、頬に流れ落ちた涙をザラリと舌で舐め取った。擦り付けられる腰は妖しく蠢いて、けれど決定的な動きをくれない。そのまま舌は頬骨を上へとなぞり上げ、眦を辿り、そうして開かせた目の中へ到達した。
「む、村田…何、っ」
眼球に舌が触れる異常な感触。そしてキス。目を閉じたいのに、視線を逸らしたいのに真直ぐ見詰めてしまう。カラーコンタクトに触れた唇が吸い上げるように蠢き、頭蓋骨から首にかけて痺れるような愉悦を齎す。
「あ、あっ、村田、村田…怖い…っ」
閉じようとする目を開かされ舐められ、本能的な恐怖に身が竦む。視界がぼやける。使い捨てのソフトレンズは村田の悪戯にも割れる事もなくグルリ、グルリと目の中で動き回り、それを更に舌が追い掛ける。逃げを打つ体を押さえ込まれ、狙い済ましたように指が増やされ前立腺ばかりを強く押される。
どこで感じているのか、もう分からない。ただ、怖い、怖いと繰り返す。ちっとも聞いてくれない男に向かって。
「村田…入れ、て、くれ」
「まだだよ。イイ子で待ってろ。あんまりグタグタ言ってると、これ突っ込むぞ?」
言いながら村田がケーキの箱を足で軽く蹴る。中に入っているのは村田の分のエクレアと、倉田が選んだベリーのタルト。
「イチゴとラズベリーとブルーベリー、どれから欲しい?」
内壁を引っ掻かれ、立ち上がった乳首を削るように爪で擦られ、そのまま震えるペニスに降りた手が終わりを促す。
「嘘だよ」
「…!」
息を詰めて迎える射精。飛び散らないように押さえ込んでいた村田の手にべったりと張り付き、ねばり、さらにアヌスにまで塗り込まれる。カチャカチャと、腰から聞こえて来るベルトを緩める音。村田がズボンを下ろしている。その間も口付けは止まず、手も止まらない。
「う、んぅうっ」
腰をグッと引かれて位置を合わせられる。上半身を支えているのは壁に押し付けられた肩と頭だけのかなり苦しい姿勢で、気遣いを全く見せない村田が倉田のペニスから手を離し、膝を抱えて持ち上げる。
そして、そのまま━━落とされた。
ビクン、と跳ねる体。衝撃に、危うく捩じ込まれていた村田の舌を噛みそうになる。それを赦さず村田はより深くまで侵してくる。ふと唇が離れ、熱い、荒い息の中で村田が笑った。
「おれを煽ったお前が悪い━━」
「ぁは、っぁあああ!」
ゴムをつけないでの交合は褒められた行動ではないが、よりダイレクトに相手を感じられる。浮き出た血管の一本一本に、直腸の内襞が絡み付く感触が堪らない。滅多にしてもらえない分、倉田は感じ過ぎてしまって、声が一切殺せなくなる。
全体重がそこにかかって、圧迫感と熱に炙られて、他の事は何も考えられなくなる。抜けそうなギリギリまで引かれると、追い縋るように倉田の内壁が収縮する、その瞬間を狙ってより奥まで捩じ込まれる。放って置かれているペニスは半勃ちのままだらだらと精液を零し始めていて、それが伝い落ちる感触にさえ反応を止められない。
「村田、あぁ、そこじゃない、ちがっ…っう、っ…く…」
何よりも自分が高まる為に、倉田のポイントを外して抜き挿しを続ける男の肩に縋り爪を立て、倉田の哀願の声が高くなる。けれど返って来るのはより強い愛撫と、囁き混じりの嘲笑。
「そんな事ないだろう?ここまで感じてたらお前、どこもかしこも良くなってて、どこだって同じ事だろう?」
「あっそんな、事、っあ…、ん!」
そう言いながらも終わりが近いのか、腰を回して倉田の一番欲しがっていた所に宛てがう。そこ、と掠れた声で啼くと、わかってると応え、そして━━
「は、…っ」
「あ…!」
一緒に最期の時を迎えた。
「倉田、倉田」
ピタピタと頬を叩く感触。優し気な、気弱にも聞こえる声。
うっすらと開いた倉田の目に映ったのは、雨に打たれた犬のような目で気遣わし気に覗き込んでいる村田の姿。
体を起こそうとすると、節々が悲鳴を上げた。まだ寝てろよ、と押し止められる。
「ベッドに連れて行こうと思ったんだけど、倉田、辛そうだったから動かさない方がいいかと思って」
優しい恋人はいつも通りの穏やかな大人の男に戻っている。先程までの熱情のかけらも見せずに。
「…ああ…もうちょっと、こっち来い」
「何?」
手招きに応えていざり寄ってきた村田の膝に、まだぼうっとする頭を乗せて、倉田は唇の端を上げて見せた。
「膝枕。ちょっとの間だけ、な」
頭の上で、クスと笑った気配がした。
「起きられる位になったら、さ」
「…ん…?」
「ケーキ、食おうな」
村田の両手が慈しむように頬を撫でるのを感じながら、倉田はもう一度、目を閉じた。
倉田の細い髪に村田が指を絡めた━━
その時、カタン、と部屋の奥で物音がした。次いで、押し殺したような「あっ」という声。
村田の手が止まる。倉田も身を強張らせ、リビングを見遣った。
「誰だ!」
鋭い声が飛ぶ。ピンと張り詰めた空気。僅かな間を置いて、カウチの陰から一人の男が姿を現した。
「悪い…」
明るい茶色の髪に、髪の色と同じ茶色の瞳。間の抜けたカラフルな三角帽を被って、照れくさそうに顔の下半分を手で覆って出て来たのは、隣の部屋の住人だった。
「ライアン?」
「お、俺だけじゃないぞ。みんな!」
かけ声に、部屋中のあちこちからゾロゾロと人間が出て来る。ベッドルームのドアの後ろ、ダイニング、机の陰…それぞれに思い思いの恰好で、手にクラッカーを持っている者もいる。学校の友人や同じアパートの住人など総勢七人。二人は唖然としてその様子を見守っていた。
ライアンが顔を赤らめて、頭を掻きながら説明する。
「いや、あの、今日真人の誕生日だろう?それで、えーと━━」
へどもどしているライアンの手から、きれいにマニキュアを施した指が何かを掠め取り、紐が引かれた。
パーン、と小気味良い音と共に爆ぜたのはクラッカー。色とリ取りのリボンと紙吹雪が馬鹿馬鹿しくも華やかに部屋に舞う。
ライアンの妻、レイチェルが二人に向けてクラッカーを発射したのだ。
「ハッピーバースデイ、真人」
「あ、そ、そうなんだ。それでその、皆で祝ってやろうって…」
「あなた達には内緒でね」
「…サプライズ・パーティー?」(本人に内緒で企画するパーティー)
「…そう」
バツが悪そうに俯くライアンの肩をポンと叩いて、レイチェルが続ける。
「まあ、そういうことなんだけど、あたし達の方に、とんだサプライズになっちゃったわ。まさかこんなに可愛い真人があんなに情熱的だとは思ってなかったけど」
「っつーか、俺はお前達がそんな仲だったなんて…」
もそもそ呟くライアンの頭をレイチェルが叩いて呆れ声を上げる。
「何言ってんのよ。二人の事は皆知ってたわよ。ただここまでラブラブだとは思ってなかっただけで」
「まあまあ」
夫婦漫才を見守っていたアミールがニヤニヤ笑いながら二人を引き離す。
「そういう事だ。出歯亀するつもりはなかったんだが、声かけるタイミングも掴めなくてな。邪魔して悪かったが、キッチンにディナーの用意と冷蔵庫にワインを冷やしてあるから、それで勘弁してくれ。俺達は退散する」
顔を赤くしたライアンの襟を掴んで引き摺るレイチェルに続いて他の面々もアパートを出て行く。それぞれに、「ガキみたいな顔して結構激しいんだな」だの、「ごちそうさん」だのコメントを残して。
ようやっと皆が出て行った後、しらじらとした空気の中で、村田は真っ赤になって固まっていた。倉田も絶句していたが、やがて体を起こそうと身を捩り、痛みに顔を顰めて呻く。
「あっ、まだ無理だって。じっとしてろよ」
「運べ」
「え?」
「動けねぇからお前が運べ。ベッドまで。一眠りしたらあいつらの置いてった飯で晩餐だ」
普段と変わらない倉田に村田もいつものペースを取り戻し、にっこり笑った。
「そうだな。アミールが持って来たワインなら間違いない」
大きな音と共に古い学生アパートのドアが叩き付けられるように開き、小さな部屋に2つの人影が転がり込んで来た。
「ちょっ、ちょっと倉田、ヤバイって…!」
焦った声に被せるように、
「るせ、大人しくヤらせろ」
「倉田、倉田!待てって…」
「待てねぇ」
「倉田っ!ヤだっ」
強姦される女のような悲鳴を上げているのは村田誠。中規模の翻訳会社勤めの彼は、社会人留学の社内試験に合格し、現在ここワシントン州の通訳者養成学校で3ヶ月間のプロフェッショナルコースを受講している。
190cm近い長身にしっかり筋肉のついた巨体はスーツがまるで似合わない、通訳士というよりスポーツマンタイプだが普段は至って控え目で、それが声にも出る為おどおどした印象を与えてしまうのが玉に疵、殊に話し方や声質も重要なポイントになり得る通訳士にはマイナスになる事は自覚しているので、正規の授業の他にスピーチの特別レッスンも受けている。
そんな村田を壁に押し付けて抵抗を阻もうとしているのはルームメイトの倉田真人。フリーの同時通訳だったが休職して単身留学、現在会議通訳士コースの2年生。村田と同い年だが体格は兄弟、いや親子程も違う。165cm53kgの華奢な体は村田の手の上にヒョイと乗せられそうだ。そのせいで却って村田が遠慮してしまい、今も押さえ込むと言うより縋り付くような倉田を引き離せない。
村田誠(むらたまこと)と倉田真人(くらたまこと)。漢字の字面は似ていないが、ローマ字書きすると名前が1字違いになる。それでコースを取り違えられたことがきっかけで知り合い、知り合ってすぐにこういう仲になった。
「ヤらせろよ。溜まってんだよ」
「倉田、今は駄目だ。ケーキが、あっ頼むから…っう」
村田の手には白いケーキの箱。潰れそうになるのもおかまいなしに倉田が村田の首に手をかけて強引に引っ張り唇を重ねる。開いたままの目は見慣れない色に煌めいている。こんな時だというのに村田はその瞳の光に見蕩れた。
「倉…何だその目…灰色?」
喘ぐように訪ねると倉田は唇の端だけで笑ってみせた。
「銀だよ。カラーコンタクト。似合うだろ、俺イイ男だから。だからヤらせろ」
「う、っん…む」
答える間もなく唇を重ねられ貪られる。華奢で童顔な倉田には、確かにそういうオモチャめいた装飾がよく似合う。ドールハウスに入れられた人形のボーイフレンドのような作り物めいた綺麗さは銀の目どころか背中に翼を背負ってもサマになるんじゃないかと村田は思う。
ケーキはバスで20分程言った所にあるパティサリーで倉田に選ばせた物だ。「どういう風の吹き回しだ?」と倉田は言っていたが。だって、今日は倉田の誕生日なのだから。
付き合い出してすぐに倉田の誕生日を知った村田は、殊勝にも思い出深いセッティングをしてやろうとない知恵を絞ったのだ。ケーキだって近所の店じゃなく、ちゃんと倉田の好きな店をリサーチした。それをこの男は台なしにしようとしてやがる。
こ、の、駄天使がっ!
「似合う。似合うっから、だから倉田、ちょっと待…ぅわっ!」
ボンヤリしていた村田は突然軸足を横に蹴られ倒れそうになった。一歩足を踏み出して危うく踏ん張った所で、足の間にスルリと入り込んで来た体がピタリと密着し、白く細い手がジッパーにかかった。あっと言う間もなく引き下げられ下着の中に手をつっこまれる。
「倉田、倉…ぁ…っ」
「なあ、手と口とどっちがいい?ヤってやるよ。大サービス」
耳の下を柔らかい髪がくすぐるように撫で、濡れた下が首筋を辿る。手は形を確かめるように村田のペニスをまさぐり、時々指が遊ぶ。
「頼むよ村田。5日もお前の声さえ聞けなくて、どうにかなりそうなんだよ…」
殊勝な言葉を紡ぐ口が首筋を滑り、カリッと歯を立てた。我慢してたのはこっちもだと言いたくなるのを堪えて村田が言う。
「お、俺だって、でも頼むから、ちょっと待てって…ぅんっ」
「待てねえ」
5日の空白は村田のせいではない。テレビ局の日本語放送の同時通訳のアルバイトもしている倉田が、某国のクーデターのリポートで5日テレビ局に泊まり込みアパートに帰って来なかったのだ。
この分では今日が自分の誕生日だという事も忘れているに違いない。
「倉田、待、ああっ」
「ほら、お前のだって…イヤがってねぇんじゃん」
「…っ」
「ピクピクしてんぜ…」
アメリカ人の中に交じってさえ実年齢より老けて見られる村田と違って、バーで酒を頼んでも身分証提示を求められる倉田の声は甘い。疾うに声変わりを済ませた筈なのにいつまでも澄んでいて、その声でこんなイヤらしい言葉を紡がれると倒錯的な気分になってくる。
制止を求める声は、倉田が村田のペニスに吸い付いた事で消し飛んでしまった。背中を壁に預けたままぎゅっときつく目を閉じ、のけぞって頭を振る。
「倉田、倉田…せめて、ケーキ、…冷蔵庫、に」
哀願にも似た声に答えるのは、笑いの交じった吐息と滑る舌の攻撃。村田の手からケーキの箱が落ち、嫌な音を立てる。しかし村田の両手はケーキを拾うより倉田の頭を押さえてより深くに突き入れる為に動いていた。自己嫌悪は一瞬で霧散してしまう。見上げる銀色の目が、艶かしすぎて。
「…っ…」
「う、…」
言葉にならない感情の迸りが脊髄を駆け抜ける。倉田もその瞬間ばかりはきつく目を閉じて、喉の奥深くに流し込まれるものをすべて、受け止めた。
「…よかったろ…え、ぅわ…っ?!」
脱力して今にも壁に背中を預けたままずり落ちそうになっていた村田が、急に足の間に跪いていた細い体を引き摺り上げて、抗う間も与えずに唇にむしゃぶりつく。精液の味のするキスは長く続いた。そう、とても長く━━倉田の体から芯が抜かれたように、崩れ落ちそうになるまで。
「村田、あ…」
「倉田…」
さっきまでの勢いはどこへやら、急に脅える小兎のような目になった倉田の前をはだけ、胸と言わず腹と言わず噛み付かんばかりの勢いでキスを送る。小さい声で喘ぎのけぞる喉元にも食らい付く。ふっと視線が絡んだ瞬間、倉田の目がまた色を変えた。
「やっとキレたな、お前…」
喉を鳴らす猫のような満足げな笑みを浮かべて、村田が初めて欲望を感じた男は彼にすべてを委ねる。
「ここがどこだとか、なんだとか、御託並べるお前は見たくねぇんだよ。俺だけ見て、俺の事だけで頭ん中一杯にしてくれよ…」
それが屠られる供物の最期の言葉になった。
日本の家と違い、靴を脱がないで上がるアメリカの家の床は、お世辞にも綺麗とは言えない。いつもならベッドかソファーで、そうでなくてもせめて敷く物を用意するのだが、今日はその余裕さえない。
オートロックとはいえチェーンすらかけていないドアは安普請だけあってひどく薄い。向こうに人でも立っていれば、扉一枚隔てたこちら側で何が起こっているか逐一知る事ができるだろう。何しろ村田はドアに倉田を押しつけて事に及ぼうとしているのだ。
「痛い、痛っ、村田、ちょっと…」
「待たない」
「違っ、背中が、ノブに当たるっから、んあぅ、…ああ!」
潤滑剤もないままに押し入って来る指が軋んで痛みと痺れと、それから隠しようもない疼きを呼び起こす。ズボンを片足だけ抜かれ、膝裏から抱え上げられた姿勢は身長差もあって倉田にはかなりの負担だが、彼は痛み以上に喜びを以て苦痛を受け入れていた。時折ごくかすかに、わざとタイミングをはずすように掠める前立腺への刺激がたまらない。
いつもはどこか遠慮がちに、やさしく包み込むように、己の快楽より倉田の反応を優先する太い腕が、今日は彼を捻じ伏せ、引き裂く為に動いている。
この男に殺される━━それは、倒錯的に甘美な充足感だった。
村田は優しい。自分よりも体の小さい倉田を労り、慈しみ、精巧な細工物を扱うように抱く。それは確かにひたひたと寄せる細波のような快感をもたらすが、それだけでは足りない時がある。5日会っていなかったからだけではない。初めて出会った時から倉田は、愛されるだけではなく、求められたいと━━壊してしまいたい程に狂おしく求められたいと、思っていた。
「…村田、村田…っひ、んっ」
もっと、と告げようとした舌が凍る。腹に付く程に反り返っていたペニスを扱くように密着した村田の腹が擦り上げ、息さえも止まる。
割り込んだ膝に乗せられるように腰を揺すり立てられ、既に足は床についていない。ガクガクと揺れる体は村田の指が抉るように前立腺を嬲る度にビクン、ビクンと強張り、それでもなお欲しがるように指を食い絞める。
「村田、っも、もう入れ…」
「うるさい。だまって感じてろ」
乳首をひねられて悲鳴が上がる。
「声で聞くより、ココの反応で聞く方がいい…」
言うなりキスされ、そのままペニスに絡み付いた手が先走りを塗り込めるように蠢き、前立腺を責める指も激しさを増す。もっと欲しいとねだりたいのに、唇は村田の唇で塞がれて、何一つ倉田の願うようにはならなくなる。
それが、堪らなく幸せだと思ってしまう腐っている自分がいる。
倉田の望みではなく、それが村田の希求だと感じられるから。倉田が欲しがるからではなく、村田が、自分からしたくて、倉田がどう思おうが関係なくこうしていると感じられるから。半裸で、服を着たままの村田にいいようにされて、恥ずかしいと思うより嬉しくて涙が溢れてくる。声も上げさせてもらえず、ただ村田の手と指に、揺すり上げて来る膝に、村田の全てに、感じるだけの生き物になって。
「目、開けろ」
涙の滲む瞳で村田を睨む。救いを求めて。しかし与えられたのは手酷い裏切りだった。
村田は倉田の顎を掴んで顔を上げさせると、頬に流れ落ちた涙をザラリと舌で舐め取った。擦り付けられる腰は妖しく蠢いて、けれど決定的な動きをくれない。そのまま舌は頬骨を上へとなぞり上げ、眦を辿り、そうして開かせた目の中へ到達した。
「む、村田…何、っ」
眼球に舌が触れる異常な感触。そしてキス。目を閉じたいのに、視線を逸らしたいのに真直ぐ見詰めてしまう。カラーコンタクトに触れた唇が吸い上げるように蠢き、頭蓋骨から首にかけて痺れるような愉悦を齎す。
「あ、あっ、村田、村田…怖い…っ」
閉じようとする目を開かされ舐められ、本能的な恐怖に身が竦む。視界がぼやける。使い捨てのソフトレンズは村田の悪戯にも割れる事もなくグルリ、グルリと目の中で動き回り、それを更に舌が追い掛ける。逃げを打つ体を押さえ込まれ、狙い済ましたように指が増やされ前立腺ばかりを強く押される。
どこで感じているのか、もう分からない。ただ、怖い、怖いと繰り返す。ちっとも聞いてくれない男に向かって。
「村田…入れ、て、くれ」
「まだだよ。イイ子で待ってろ。あんまりグタグタ言ってると、これ突っ込むぞ?」
言いながら村田がケーキの箱を足で軽く蹴る。中に入っているのは村田の分のエクレアと、倉田が選んだベリーのタルト。
「イチゴとラズベリーとブルーベリー、どれから欲しい?」
内壁を引っ掻かれ、立ち上がった乳首を削るように爪で擦られ、そのまま震えるペニスに降りた手が終わりを促す。
「嘘だよ」
「…!」
息を詰めて迎える射精。飛び散らないように押さえ込んでいた村田の手にべったりと張り付き、ねばり、さらにアヌスにまで塗り込まれる。カチャカチャと、腰から聞こえて来るベルトを緩める音。村田がズボンを下ろしている。その間も口付けは止まず、手も止まらない。
「う、んぅうっ」
腰をグッと引かれて位置を合わせられる。上半身を支えているのは壁に押し付けられた肩と頭だけのかなり苦しい姿勢で、気遣いを全く見せない村田が倉田のペニスから手を離し、膝を抱えて持ち上げる。
そして、そのまま━━落とされた。
ビクン、と跳ねる体。衝撃に、危うく捩じ込まれていた村田の舌を噛みそうになる。それを赦さず村田はより深くまで侵してくる。ふと唇が離れ、熱い、荒い息の中で村田が笑った。
「おれを煽ったお前が悪い━━」
「ぁは、っぁあああ!」
ゴムをつけないでの交合は褒められた行動ではないが、よりダイレクトに相手を感じられる。浮き出た血管の一本一本に、直腸の内襞が絡み付く感触が堪らない。滅多にしてもらえない分、倉田は感じ過ぎてしまって、声が一切殺せなくなる。
全体重がそこにかかって、圧迫感と熱に炙られて、他の事は何も考えられなくなる。抜けそうなギリギリまで引かれると、追い縋るように倉田の内壁が収縮する、その瞬間を狙ってより奥まで捩じ込まれる。放って置かれているペニスは半勃ちのままだらだらと精液を零し始めていて、それが伝い落ちる感触にさえ反応を止められない。
「村田、あぁ、そこじゃない、ちがっ…っう、っ…く…」
何よりも自分が高まる為に、倉田のポイントを外して抜き挿しを続ける男の肩に縋り爪を立て、倉田の哀願の声が高くなる。けれど返って来るのはより強い愛撫と、囁き混じりの嘲笑。
「そんな事ないだろう?ここまで感じてたらお前、どこもかしこも良くなってて、どこだって同じ事だろう?」
「あっそんな、事、っあ…、ん!」
そう言いながらも終わりが近いのか、腰を回して倉田の一番欲しがっていた所に宛てがう。そこ、と掠れた声で啼くと、わかってると応え、そして━━
「は、…っ」
「あ…!」
一緒に最期の時を迎えた。
「倉田、倉田」
ピタピタと頬を叩く感触。優し気な、気弱にも聞こえる声。
うっすらと開いた倉田の目に映ったのは、雨に打たれた犬のような目で気遣わし気に覗き込んでいる村田の姿。
体を起こそうとすると、節々が悲鳴を上げた。まだ寝てろよ、と押し止められる。
「ベッドに連れて行こうと思ったんだけど、倉田、辛そうだったから動かさない方がいいかと思って」
優しい恋人はいつも通りの穏やかな大人の男に戻っている。先程までの熱情のかけらも見せずに。
「…ああ…もうちょっと、こっち来い」
「何?」
手招きに応えていざり寄ってきた村田の膝に、まだぼうっとする頭を乗せて、倉田は唇の端を上げて見せた。
「膝枕。ちょっとの間だけ、な」
頭の上で、クスと笑った気配がした。
「起きられる位になったら、さ」
「…ん…?」
「ケーキ、食おうな」
村田の両手が慈しむように頬を撫でるのを感じながら、倉田はもう一度、目を閉じた。
倉田の細い髪に村田が指を絡めた━━
その時、カタン、と部屋の奥で物音がした。次いで、押し殺したような「あっ」という声。
村田の手が止まる。倉田も身を強張らせ、リビングを見遣った。
「誰だ!」
鋭い声が飛ぶ。ピンと張り詰めた空気。僅かな間を置いて、カウチの陰から一人の男が姿を現した。
「悪い…」
明るい茶色の髪に、髪の色と同じ茶色の瞳。間の抜けたカラフルな三角帽を被って、照れくさそうに顔の下半分を手で覆って出て来たのは、隣の部屋の住人だった。
「ライアン?」
「お、俺だけじゃないぞ。みんな!」
かけ声に、部屋中のあちこちからゾロゾロと人間が出て来る。ベッドルームのドアの後ろ、ダイニング、机の陰…それぞれに思い思いの恰好で、手にクラッカーを持っている者もいる。学校の友人や同じアパートの住人など総勢七人。二人は唖然としてその様子を見守っていた。
ライアンが顔を赤らめて、頭を掻きながら説明する。
「いや、あの、今日真人の誕生日だろう?それで、えーと━━」
へどもどしているライアンの手から、きれいにマニキュアを施した指が何かを掠め取り、紐が引かれた。
パーン、と小気味良い音と共に爆ぜたのはクラッカー。色とリ取りのリボンと紙吹雪が馬鹿馬鹿しくも華やかに部屋に舞う。
ライアンの妻、レイチェルが二人に向けてクラッカーを発射したのだ。
「ハッピーバースデイ、真人」
「あ、そ、そうなんだ。それでその、皆で祝ってやろうって…」
「あなた達には内緒でね」
「…サプライズ・パーティー?」(本人に内緒で企画するパーティー)
「…そう」
バツが悪そうに俯くライアンの肩をポンと叩いて、レイチェルが続ける。
「まあ、そういうことなんだけど、あたし達の方に、とんだサプライズになっちゃったわ。まさかこんなに可愛い真人があんなに情熱的だとは思ってなかったけど」
「っつーか、俺はお前達がそんな仲だったなんて…」
もそもそ呟くライアンの頭をレイチェルが叩いて呆れ声を上げる。
「何言ってんのよ。二人の事は皆知ってたわよ。ただここまでラブラブだとは思ってなかっただけで」
「まあまあ」
夫婦漫才を見守っていたアミールがニヤニヤ笑いながら二人を引き離す。
「そういう事だ。出歯亀するつもりはなかったんだが、声かけるタイミングも掴めなくてな。邪魔して悪かったが、キッチンにディナーの用意と冷蔵庫にワインを冷やしてあるから、それで勘弁してくれ。俺達は退散する」
顔を赤くしたライアンの襟を掴んで引き摺るレイチェルに続いて他の面々もアパートを出て行く。それぞれに、「ガキみたいな顔して結構激しいんだな」だの、「ごちそうさん」だのコメントを残して。
ようやっと皆が出て行った後、しらじらとした空気の中で、村田は真っ赤になって固まっていた。倉田も絶句していたが、やがて体を起こそうと身を捩り、痛みに顔を顰めて呻く。
「あっ、まだ無理だって。じっとしてろよ」
「運べ」
「え?」
「動けねぇからお前が運べ。ベッドまで。一眠りしたらあいつらの置いてった飯で晩餐だ」
普段と変わらない倉田に村田もいつものペースを取り戻し、にっこり笑った。
「そうだな。アミールが持って来たワインなら間違いない」
11/07/16 20:09更新 / blueblack