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連載小説
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一 黙祷(もくとう)
 「おはようさん」
 「おはようございます」

 洗面所ですれちがった三年生に声をかけられて、にこっと笑ってかえす。気もちのいいあいさつをすると評判の神崎みぎわ、十六歳と七か月だ。母親にしつけられたそのままに、歳上にも下にも、おなじようにきっちりと、笑顔でこたえる。

 「寒いですね」
 「ああ」

 くったくなく話しかけてくる後輩に、こわもてでとおっている三年生もつい、笑顔をかえしてしまう。それくらい、みぎわは、きちんとしつけられたいい子だ。かりにも高校一年生の男子をつかまえて「いい子」などというのはばかにしたようだが、みぎわに限っては、その形容がぴったりくる。

 「寒いな」
 「まあだまだこれから」
 「地元民はすぐそれ言うんだよな、おれらの気くじこうとしてっだろ」
 「いやまじ、これで寒いの言ってたら冬越せませんて」
 「去年それで騙されたんだ、いっちゃん寒いときに『これからこれから』つって言われまくって」
 「まあまあ」

 「まだ寒くなるのか」
 通学圏内の生徒でも空きがあれば入れてくれるという、考えようによってはおおらかなこの寮は、地元民と呼ばれるそんな生徒が一割強をしめている。なにかと先輩風を吹かせる傾向もあるにはあるが、土地の事情に詳しいのでそれなりに重宝されている。
 真琴もそのひとりだ。
 みぎわの質問に、ちょっと首をかしげて、
 「あれだな、寒いっていうより冷たいんだ、ここらは」
 「ふうん」
 「気温より湿度だな、ポイントは」
 重ね着しても、冷気はけっこう染みてくる感じがあるから、と笑う。
 「何枚着るかじゃなくて、なに着るかでずいぶん違うな。風とおさないようにしてりゃ大丈夫だろ」
 そういう当人は、ふだんからずいぶんな軽装で、寮ではほとんど半袖ですごしている。みぎわより頭ひとつ半おおきなこの友人は、肉がまったくついていなくて、すらりというよりひょろりとした体型なため、風の強いときなど、重しつけとけ飛ばされるぞ、と口のわるい上級生に言われるほどだ。

 みぎわたちのうしろで二、三人が騒いでいるのが耳にはいってくる。

 「寮内連続通り魔事件、なんだって」
 「なにそれ」
 「女の子ばっか狙ってる変質者的犯行。首筋にひっかき傷つけて回ってる馬鹿がいるって」
 「首?」
 「吸血鬼きどりなん」
 「くだんねえ。それで被害者のほうはどうなるわけ。吸血鬼になるの」
 「なるかよ。たちわるいよなそれにしても」

 聞くともなしに耳をかたむけながら、かしましいのはなにも女にかぎらない、とみぎわは思う。先週あたりから流れている猟奇めいたうわさ。はじめは、このごろ女子がよく貧血をおこすという話だった。礼拝で倒れたりするのがきまって寮生だったために、寮の食事の栄養バランスがどうのとも言われたが、男子生徒のほうにはまったくそれらしい話もなかったために、やれ女子寮でむちゃなダイエットがはやっているのなんだのと、あれやこれやささやかれるようになった。あげくがオカルトだ。

 そっち方面には興味のないみぎわは話には加わらない。

 のびはじめてまつげにふれるくらいになっている前髪をかきあげて、鏡をのぞきこむ。小柄なほうのからだも、のびきっていない手足も、細くて腰のない、色のうすい髪も、なにもかもが子供子供していて、中等部にまぎれこんでもわからないだろう。春うまれなのに、早生まれの友人より歳下に見えてしまうその外見が、じつはコンプレックスになっている。まずだいたい歳より下に見られることと、あとは初対面のあいてには、三人にひとりか、もしかすると五人にふたりくらいの割合で、女の子にまちがえられることだ。

 といって、とくべつ女っぽい顔つきだとかいうことではなく、むしろ、成長期まえの、まだどちらともいえないような、あいまいなようすだと周りには言われる。まといつくような女っぽさももちろんないかわりに、圧倒的な男くささもない。
 まあ、こども、だ。
 それがおもしろくない。周りにもそう見られることや、てきとうにあしらわれることがなんともしゃくにさわる。とくに、女の子にそうあつかわれるのは、いかにもキミは射程外よと言われているようで、なさけないものがある。
 しかしまあ、百五十センチにもゆかない母親さんを見ているかぎりではこれ以上背ものびそうにないし、顔つきも声も、どうやら母親さんとうりふたつだから、あんまり男っぽさという面での成長は望めないかもしれない。鏡のなかのじぶんの顔に、しょうがないよなこればっかりは、とかるくため息をつく。

 みぎわは父親を知らない。写真も残っていない。いつだったかたずねたとき、そりゃあハンサムだったわよ、と母親さんはうっとり宙に視線をうかせたが、そのあとに、中性的な魅力っていうのかしら、色がすけるくらいに白くって線が細くって、物腰も優雅ってのか、やることなすこといちいちきまっててねえ、そこら歩ってても、モデルさんかと思われたもんよ、まあそれにはちょいと上背が足んなかったけどね、と伴侶の話をしているというより、観賞用の血統書つきの犬の話でもするような調子で続けてのけた。息子がかげでうんざりと鼻をならしたのにも気づかないで。
 ひとつだけわかったことは、どうも、どっちの血を引いてもじぶんのこの顔にこの背丈はじゅうぶんに納得ゆくってことなんだね、と母親さんに言ったら、そうね、あんたあのひとにそっくりよ、そういう口のききかたまで、という答えがかえってきた。もうちっと精進したら、あのひとの十分の一っくらいはかっこいい男になれるわね、と。

 そんなあっけらかんとした母親さんのことを、しょうがないひとだなと口では言いながら、みぎわはとても気にいっている。おさないころからじぶんを子どもあつかいしなかったこと、本気でけんかして、本気でものを言うところ、相手がわが子であろうとなんだろうと、好きなものは好きと言いきって、それこそはずかしげもなくのろけるところ。むかしから、いい女だな、と思ってきた。
 だからみぎわは、母親さんの言うことはいつもきちんと聞く。理屈にあわないと思えばきっちり言いかえす。
 きょうだいみたいな親子だね、と周りには言われている。

 それはともかく、チビはしかたないけど、二センチとはいえ幸(ゆき)ちゃんに負けてんのだけはやだなあ、と、それがもっかのいちばんの悩みだ。入学早々に知りあって夏休み直前にコクハクして、はれて後輩から恋人に昇格したのが二学期に入ってから。

 真荘幸(しんじょう ゆき)はみぎわより七か月さきに生まれている。たったそれだけのことで学年はひとつちがってしまって、たったそれだけのことで口説きおとすのにふた月半もかかった。むこうもこっちのことを憎からず思っていながら、だ。
 すんなりのびた背とややきつめの顔だち、そのうえにおちついたしぐさとゆったりしたもの言いで、ときに先生も圧倒してしまう幸ちゃんとならんで立つと、まるきり姉妹(あねいもうと)だと口のわるいクラスメートには言われてしまう。

 「おれまだ成長期ですから。半年後にはぜったい抜きますから」
 と言ったらむこうはふきだして、
 「そっちはいいけど、体重だけは負けないでね」
 と答えたんだった。
 これはもしかすると、もうすこし肉をつけろという意味かな、と、生まれつき太れない、筋肉もつきにくい体質を、このときばかりはうらめしく思う。

 鏡のまえで考えこんでいるみぎわに、真琴が呼びかけてきた。
 「みぎわ。今日は集会出る」
 「ん。二週間ぶりだし」

 みぎわの学校は新教系のミッションスクールで、毎週日曜にはきっちり礼拝があるほかに、水曜の朝、授業のまえにも寮内の談話室で集会をする。べつに出なければいけないわけではないのだが、みぎわは母親さんのたっての願いでここに入学したこともあって、なんとなく月に一度か二度は出るようにしている。出たところでちんぷんかんぷんなのだが、それでも入学したときにもらった聖書と賛美歌も、たまにはめくってみることがある。じぶんの名前がどうやら聖書の箇所からとられていることも、ここに来てはじめて知った。クリスチャンではないはずの母親さんが、なにを思って「みぎわ」などという名を息子につけたのか――あのひとのことだから、たんなるミーハー心の可能性は否定できないけど。

 ざっと髪をかきあげて、洗面所を出る。
11/07/14 00:33更新 / blueblack
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