御使(みつかい)、処女(おとめ)の許(もと)にきたりて言う、
「めでたし、恵まるる者よ、主なんじと共に在(いま)せり」
部屋にもどり、布団をかぶり、寝てしまおうと思ったのに、眠れない。
じぶんの体を苦しめているのが、風邪などでないことに、気づいてしまった。
この、熱。耐えきれないほどの、この重くるしさ。
血をもとめて、あえいでいる。
外では、風が鳴っている。吹雪になりそうな雪と風が、ガラス一枚へだてたむこうで舞っている。
おなじように、流れている。人間の、その体の内側に、皮一枚のむこうがわに、じぶんのもとめているそれが――赤い、血が、流れている。
それをじぶんは求めている。それなら。
じぶんの内側で、皮一枚のむこうがわに。
いったい、なにが流れているのだろう。
なにが。
「遅い」
そのとき、耳もとで声がした。
えっと思うまもなく、
ぴし、
と、わずかな音をたてて、窓ガラスにひびが入った。
風の強さに負けたのだろうか。その瞬間。
ことり、と、つっかい棒にしていた定規が、まるでそこにはない手がゆっくりと持ちあげてわきによけたように、その位置をかえた。
そうして。
窓が、わずかに開いた。
窓は、かたかたとゆれ、それから、ゆっくりと、もとどおり、
閉まった。
みぎわは、一部始終を、見ていた。
定規が、もとどおり、窓枠にそえられるのも。
それから――そうして。
目のまえに、背の高い、それが。
その人物が、立っているのを。
「遅い」
羽根木翠は、くりかえす。
「――」
なにが、とみぎわは言いかえそうとして、声が出なくなっていることを思いだす。
目の前の、髪の長い、黒い目の。
翠がいることに、まるでおどろいていないじぶんが、かえってふしぎだった。
いま真琴かだれかが入ってきたら、おれが女の子連れこんだって思われるのかな。
そんな、どうでもいいようなことを考えているじぶんが、なぜかおかしくて、こんなわけのわからない状況なのに、笑いがこみあげてくるようで、みぎわはじぶんの感情をコントロールできなくなっている。
それにも気づいていた。
「行くぞ」
いきなり、翠がみぎわの布団をはいだ。そうしてみぎわの腕をつかむ。
「幹(みき)が待っている」
*** *** ***
そのあとのことは、よく覚えていない。
翠に、抱きかかえられたような気もするが、その腕がおどろくほど細かったような気もするが、どうやらじぶんは、すぐに気をうしなってしまったらしい。
とにかく、つぎに目が覚めたとき、みぎわと翠は礼拝堂にいた。
うす暗い礼拝堂は、パジャマ姿ではすずしく、みぎわは知らずわが身を抱くようにしていた。
「幹」
翠がオルガンのまえにいた人物に声をかける。
振りむいたのは、あの、水谷とかいう男性だった。にっこり笑って、
「待ちかねたよ」
と、言った。
なんだか、なにもかもが芝居じみているというか、なぜじぶんはおとなしくベッドで寝ていないで、こんなところでこんなことをしているのだろうとか、なにもかもが、説明のつかない薄明のなかにあるようだった。
頭が痛い。重い。
「つらいよね」
幹がふわりと言う。翠がぼそりと、
「生きてゆけなければ死ぬだけだ。漫然とひからびてゆく馬鹿はいない」
「まあ、彼氏いままでひとりだったんだし、ひとりで生きてきていたんだからしょうがないでしょう、約束ごとが多少わからなくても」
「本能がこわれていればそもそも生きられるものではない」
「習熟もあるでしょう」
「最近の餓鬼は脆弱だな。甘えている。教えてもらわないと餌も得られない」
「まあまあ。とにかく、ほうっておいたら彼氏、窒息してしまう。翠さん、おさえててくれますか」
その声と同時にうしろから腕がのびてきて、あっという間もなくはがいじめにされる。
「‥‥!」
ふりほどこうにも、細い腕がみぎわの体にぴったりと巻きつけられてきて、そう力をこめているようでもないのにまったく動けない。頭ひとつ背が高いとはいえ女の力に負けるなんて。そんな思いをこめたあらがいにも、まるきり頓着するふうもなく、翠はそのままみぎわの両腕をうしろでひとまとめにかかえてしまい、空いたほうの手で腹を押さえこんでくる。
「だいじょうぶ、いたくないからね。ちょっとだけだから」
幹の、あかんぼうに言いきかせるみたいな口調に、頭に血がのぼってくる。離せ、と叫ぼうとしても、かわききった喉からはひゅうひゅうと空気がもれるばかりだ。ますますいらだちをつのらせ
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