「それで、けっきょく受けたの」
幸ちゃんがたずねる。
「まだ決めてないけど」
答えながらみぎわは、でもきっと受けることになるだろうな、と思っている。あの衣装はなんとかしてほしいけど、でも正直いって、いつまでも逃げていられると思ってもいない。流佳と波奈がほかの生徒に持ってゆくことをこれっぽっちも考えていないらしい以上、長びかせればそれだけ練習時間がすくなくなって、けっきょく苦労するのがじぶんだということもわかっている。ヨセフ役はほとんどせりふもないが、天使は受胎告知のシーンからキリストの誕生を知らせるシーンなど、要所要所に登場する役どころだ。
「あたしは見たいけどな、みぎわくんの天使」
それがもうひとつ、さいごにひとつ、みぎわがひっかかっていることだ。
「どうして‥‥」
「うん」
「幸ちゃんがマリアって聞いて、それでおれ、ぜったい天使はいやだって思って‥‥」
「‥‥そうなの?」
「どうしてそう、わかってないふりするんだか」
「ふりじゃなくて」
幸ちゃんはいつもの笑いかたをしてみせる。
おとなが、こどもをなだめる笑顔。
「でもおれは、幸ちゃんマリアって聞いたから」
「なに」
「ヨゼフやりたかった‥‥けど、羽根木さんには負けてるから。ルックスで、すでに。で、なんで羽根木さんに負けんだろって‥‥ぜんぜん関係ない女の子に、そういうとこで負けるのってすごいショックじゃない」
「え、みぎわくん、ヨゼフやりたかったの」
いきなり幸ちゃんが笑いだす。
「だから、それは幸ちゃんが」
「ご、めんごめん。そ‥‥っか、それですねてたのか」
「すねてない」
「ごめんね。わかんなくて。あたし、でもみぎわくんには天使がにあうって思ってたのよ、ごく単純に」
ふっと、声の調子をかえる。
「あたし好きよ、みぎわくんの声。せりふのほとんどないヨゼフより、ずっとみぎわくんにぴったりの役だと思う――それにね」
くすっと笑って、
「聖画」
「?」
受胎告知って絵になるじゃない。ヨゼフとマリアの絵ってほとんどないけど、天使とマリアは定番のモチーフでしょ、と幸ちゃんは笑う。
「でも‥‥」
「あともうひとつ」
幸ちゃんはいたずらっぽく指をたてて見せる。
「あともうひとつ、ひそかにあたしが気にいってた理由、おしえたげる」
マリアって処女懐胎でしょ、と内緒話をする声の調子でささやく。
「マリアは婚約中に、ヨゼフを知らないうちに妊娠する。まあマリアの懐妊にはいろんな説があって、ローマ兵の落とし児だとか――でも、あたしがいっとう気にいってる説。あのね」
声をおとす。しぜん、みぎわの顔は幸ちゃんのほうに寄せられる。
「マリアはね。神様の命をおって下った天使によって妊娠させられるの。マリアを誘惑するのは、天使なのよ」
「それ――」
「ちょっといいでしょ」
ちろっと舌を出す。
「だから、マリアを誘惑する、それだけの魅力のある天使、っていう意味で、あたしみぎわくんのこと推すんだけど。どう? 役、受ける気にならない?」
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