昼なお暗き魔王の森。
鬱蒼と茂る樹々の葉擦れに、ごく密やかな息遣いが交じる。
木漏れ日に煌めく淡い茶色の髪の青年が、そこには潜んでいた。
ウエーブを描いた細い髪も、白い肌も、小柄な体も、どれも、
街で見たならば彼を賞金首とは思わせまい。
しかし彼、イチは国中の賞金稼ぎに追われる程の法外な賞金を掛けられていた。
一体何を間違えたのか。
己に問うても答えは返らない。
イチは村では弓の名手として知られていた。
己の力を試すべく、領主が主催する大会に出場すると言った時、
親しい友人達は笑い交じりに
領主は美童趣味だから気を付けろよとイチに言ったが、お互いに
気の置けない仲間内の冗談のつもりだった。
年よりも若く見えるとは言えど、イチは疾うに成人し、許嫁もいる身だ。
間抜けにも、順調に勝ち抜いている時の、領主の視線の意味に全く気がつかなかった。
5人勝ち抜けば賞金を持って帰り、老いた母親に孝行が出来る。
それしか考えていなかったのだ。
明日、5人目と闘うと言う夜、与えられた部屋で寝んでいた。
鍵のかからない部屋に領主が忍んで来た時、初めて知ったのだ。
樹々を縫う風にイチは震えた。身一つで城から逃げ出した為に、
彼は夜着に裸足で、もう10日もこの森に潜んでいるのだ。
村に逃げ帰った時に、家の周りを取り囲む衛兵達の会話から、自分が、
領主の命を狙い謀反を企んだとして、お尋ね者と成り果てた事を知ったのだ。
こうなっては、許嫁に逢う事も適わない。
せめて彼女には幸せになって欲しい。
イチは、幼馴染みでもある許嫁の姿を思い出して、彼女の無事を祈った。
考えに耽っているイチの耳を、微かな物音が打った。
枯葉を踏み砕く足音。
イチは身構えた。とうとうここまで追っ手が来たか。
命からがら城から逃げ出した時に、イチが持ち出したのは、枕元に置いてあった
短剣だけだった。それ以外に身を守る物を何も持っていないイチには、
身を隠し、息を潜め、足音が通り過ぎるのを待つ他ない。
ゆっくりだが確実に近付いてくる足音を、イチは全身全霊を傾けて聞いていた。
もし見付かってしまえば、奇襲をかけるより他に生き延びる道はない。
木の影からイチはそっと足音のする方を伺った。
(何だ?あの男は…)
イチの視線は、恐ろしく背の高い男を捉えていた。足も長く、走るのが早そうだ。
年齢はイチとそう変わらないように見える。
しかしイチが不審に感じたのは男の風貌ではなかった。腰に革袋を付けただけで、
男は、まるで散歩でもするような軽装で、それまでにイチが躱して来た
賞金稼ぎ達のような重装備を全くしていなかったのだ。
イチは、(もしかして、賞金稼ぎではないのか?)と、悩んだ。
しかし、この森には、村人は畏れて入っては来ない。
魔物が巣食うと言われているのだ。
ここに入り込むのは、自殺を考えているか、或いは、イチのように、
身を潜めるか、そうでなければお尋ね者を捜している賞金稼ぎか、
その三種類しかいない。
イチは目を眇めて男を見た。
その瞬間、男が、まるでイチの視線を感じたかのように振り向いたのだ。
(しまった…!)
ごまかしようもなく、2人の目が合った。
先に動いたのは男だった。それまでの茫洋とした雰囲気を掻き消すと、
イチに向かって突進してきたのだ。
イチは持ち前の瞬発力で飛びすさり、寸での所で男を躱した。
そして木の枝から垂れ下がっている蔦をグイッと引いた。
仕掛けてあった罠のバネが外れ、輪にしておいた蔦が男の足下でギュッと締まり、
そのまま男の両足首を捕らえ、引きずり上げた。
哀れ、男は木の枝からぶら下がった恰好で吊るされたのだ。
と、思いきや、男を釣り下げた蔦が、重荷に耐えかねてブツッと切れた。
男はドサッと頭から落ちた。
考える前にイチの体が動いていた。
男の上半身に乗りかかり、手に持っていた蔦で、縛り上げようとしたのだ。
(チッ、しまった。逃げていればよかった)
そんな考えが頭を過ったが、時既に遅し。こうなれば、男の自由を完全に奪って、
それから逃げるしかない。
男は猛烈に抵抗する。
しかし、落ちた時に肩をぶつけたらしく、力が入らないようだった。
男より確実に二回りは小柄なイチだったが、それでも何とか後ろ手に男を縛り上げる事に
成功した。
(こいつ…北方人か?バカでかい…)
自分より確実に太い腕に蔦を巻き付けながら、イチは思った。
罠を仕掛けていてよかった。
正面から対決していれば、まずイチに勝ち目はなかっただろう。
男は筋肉のよく発達した、立派な肢体を持っていた。切れ長の紫色の瞳が、
眼光鋭くイチを見つめる。
その視線に何故かイチはドキッとした。
(バカな…似てなどいないのに)
紫色の瞳。許嫁の彼女。たまたま目の色が同じだっただけで、当然だがイチが押さえ付けてる
男
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