「まあでも眼鏡でよかったやん?」
あっけらかんとした口調で野沢が言うのへ、まあなと返しながらも、この物入りの時期にという怨めしい気持ちを抑えられない。
出勤途中、車道をおそろしい速度で飛ばしていたトラックが小石を撥ねあげ、あろうことか桐島の眼鏡を直撃したのだ。ふだんはコンタクトレンズなのだが、数日前から違和感をおぼえていたために眼鏡に切り替えていたのは幸運だったのか不運だったのか、眼鏡のレンズがピシリと音を立てて割れ、衝撃に思わずうずくまった桐島が、なにが起こったのかを把握するころには、すでにトラックは走り去っていた。たしかにレンズを割るほどの勢いの石が目を直撃していたらと想像するとぞっとするものがあるが、しかしいらぬ出費を強いられることへの理不尽さには舌打ちしたい気分だ。
そんな桐島に頓着するようすも見せず、野沢は友人の話とやらをはじめている。車を運転していて、やはり前を走っていたトラックが撥ねあげた小石がフロントガラスに穴を開けたというのだ。
「小っさい傷やしそのまんま乗っとるけどな」
この小柄なわりに身ぶり手ぶりの大げさな友人が、自分の気を引き立たせようとしているのはわかっている。だがしかし、のってやる気にもなれなかった。大学からのつきあいだから、もう六年になるというのにいまだに抜けない関西弁や、いつもどこか外した反応に、このごろ桐島はなごむより苛つくことのほうが多くなっている。
今日も、予備の眼鏡を持っていなかったせいで仕事に支障をきたしているのを見てサポートに入り、乱視の入った近眼の目をしょぼつかせる桐島の机から書類の束をむりやり奪っていったのに、感謝するより頼んでもいないのに、と思う自分のほうが恩知らずなのはわかっている。わかっているが、すなおにありがとうと言えない。
そんな自分を見ていた野沢が、ふいに手をのばしてきた。身を引くよりさきに指先が目の下をすっと撫でてゆく。
「ああ、びっくりした」
それはこちらのせりふだと言いそうになった桐島がその言葉を飲みこんだのは、野沢の声音が、あまりにもやさしかったからだ。
「ガラスやってんな」
言いながら野沢は手をひろげてみせた。その指先にちかり、光るものを見て、桐島は眉をよせた。
「おまえの顔のな、目の下んとこ。光ったあって、泣いとんか思たんや、あせったわ」
怪我しとらんか、と重ねて問われ、桐島は首を振った。
離れていった指が、わずかにかすめただけの野沢の指先の熱が、まだ頬骨の上に残っているような気がした。
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