新着メッセージのアラートが鳴った。バックグラウンドで作業させていたメイラーをフォアグラウンドに呼びだし、おおかたいつものメイルマガジンだろうと受信リストをひらく。
三通めに個人名のメイルが入っていた。差出人名はひさしぶりに見る日本語だ。カタカナで三文字。
「キシロ」。すっかり忘れていた――忘れようとしていた名だった。
未読フラッグのついたそれを、しばらく見つめる。ほんの二キロバイトということは、スクロールせずに読めるていどの内容だろう。クリックすれば、木城のメッセージに――木城に、会える。
別れるとき、アドレスは教えなかった。木城のアドレスももちろん聞いていない。だいいち、いま使っているメイルアドレスは海外赴任先であらためて契約した地元プロバイダのもので、一部の人間にしか教えていない。
二度と会わないと互いに納得しあって、納得しようとして別れたのだ。木城は親の後を継ぐことがきまっていたし、いずれは親に認められたいいうちのお嬢さんと結婚してしあわせな、おだやかな家庭をもつだろう、それができる男だというのははじめからわかっていた。進路で親ともめて以来没干渉になっている自分とはちがって、あいつは親ともうまくいっている。
親を悲しませることなどできないと、言葉にしたことはなかったが、つきあいはじめたときから、そんなことは言われずともわかっていた。別れてからしばらくして、婚約したとも聞いた。そういえばそろそろ結婚してもいいころだ。
件名には「石黒航様」とだけ書かれている。口数のおおいほうではなかった木城の低い声が自分を呼ぶ、「イシグロ」と、いつもどこかしら遠慮がちだったあいつの声が、あのころのままの声が聞こえてくる。石黒航様だなんて、そんな呼ばれかたをしたことはない。
結婚の報告だろうか。それとも、なにかほかの――?
古いバージョンのメイラーにはプレビュー機能がついていない。ひらかないかぎり、中身を読むことはできない。木城からのメイルは選択されたまま、受信リストにある。
メニューから削除をえらべばそれでいい。メイルが届かないことなどめずらしくもない。またメイルがくることがあれば、「文字化けで読めない」と返してやればいい。実際に日本語のメイルはよく文字化けする。「ローマ字で書いてくれ」とでも書けば、そう込みいった話にはなるまい。
そう思いながら、マウスのボタンにかけた指が、うごかない。
元ネタ:
白山羊さんからお手紙ついた
黒山羊さんたら読まずに食べた
しかたがないのでお手紙かいた
「さっきの手紙のご用事なあに?」
まどみちお作詞『やぎさんゆうびん』
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