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無題

 孝枝が線香花火作りに挫折したのは歯軋りのせいだった。
 テレビで放映していた「消えゆく日本の伝統〜最後の線香花火職人」という十五分ほどの番組で、同じ県に職人がいると知って矢も盾もたまらず家を出たのだった。人に話せば五月病のひと言で済んでしまうような、けれど本人にとっては人生最大の鬱屈を抱えていた孝枝は衝動的に会社を辞め、その足で職人のもとへ向かった。
 預金通帳と印鑑を差し出して弟子入りを志願した孝枝をテレビに映っていた姿よりやや老けて見える職人はじいっと見つめ、かたわらのティッシュボックスを引きよせてしゅっと一枚引き抜くと短冊に裂き紙縒りは縒れる?とティッシュを寄越した。はいと答えた声がうわずっているのを自覚しながら孝枝はティッシュで紙縒りをつくってみた。途中で折れ曲がったぶかっこうな紙縒りをみて、職人はもういちど孝枝を見て、じゃあ戴いとくわねと通帳に手を伸ばした。
 嫁いだ娘の部屋を宛がわれて、なかなか寝つけずにぼんやりと本を読んでいた孝枝が、それでもうとうとしはじめたころ、金属同士がこすれあうような神経に障る物音に飛び起きた。時計を見ると零時を回っており、その音はとなりの部屋から響いていた。大きくなり小さくなり、歯医者の治療のような音になったり、金物をぶつけあうような音になったりして、それは明け方まで続いた。
 孝枝はそれでもひと月耐えた。耳栓を買い、布団を頭からかぶり、ガラスをひっかくような音をなんとか聞かないように努力を重ねた。しかし寝不足のため集中力が続かず、和紙を使っての紙縒りの練習にも身が入らず、火薬の配合を手伝ったときにもついうたたねしそうになるありさまだった。
 通いで修業できないか、それとも近くにアパートでも借りようかと思い悩む孝枝のもとへ親から手紙が届いた。家出同然に出て行った娘を責める言葉は一切なく、それがかえって堪えた。それから三日孝枝は手紙を懐に入れて修業を続け、そうして三日目の晩に職人に家に戻ると告げた。この一月ですっかり正座にも慣れ、ぴんと背筋をのばした孝枝を職人は最初の日とおなじようにじいっと見つめ、それから傍らに置いてあったクッキーの缶を引き寄せて蓋を開けた。中にはぎっしりと紙縒りが詰まっていた。
 あんたがここへ来てから作った紙縒りだよ、と職人は言った。五千にはならないかしらね。上のほうが新しくて、下のほうに行くにつれ古くなってる。ここへいた記念に持ってお行き。
 ありがとうございますと孝枝は答え、お辞儀をしながら、初日に渡した預金通帳のことを言い出せずにいた。ひと月分の生活費やいろんな経費はともかくとして、残りを返してほしいと言うことが当然の請求なのか非常識なのか判断できなかった。
 もじもじしている孝枝に、ああそうだ忘れていたわと職人は立ち上がってとなりの部屋へ行った。ほっと胸を撫で下ろして待っていると、ほどなくして戻ってきた職人は孝枝に封筒を差し出して、あけてごらんと言った。封筒は、通帳が入っているにしては薄っぺらかった。
 封筒からころりと出てきたのは、ティッシュの紙縒りを通した五円玉だった。いちばん最初の日に孝枝が縒った紙縒りだと職人は言った。
 あたしからの餞別だよ、このさきもご縁がありますようにってね。
 あたしの線香花火を買うときがあったら、ちっぽけな線香花火にも、作った人間がいるってこと思い出しておくれ。そう言われて送り出された孝枝は、結局通帳のことを言い出せなかった。

 実家に戻って数日後、職人から書留が届いた。
 中に入っていた通帳の残高を見ると、五円だけ引かれていた。
 同封の手紙には、この先もご縁がありますように、あなた様からも五円戴きました。あしからずご了承くださいませ、と達筆とはいえない字で書かれていた。
11/07/16 19:53更新 / blueblack


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