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四 賛美歌五一〇番

  まぼろしの影を追いて
  うき世にさまよいて、
  うつろう花にさそわれゆく
  汝(な)が身のはかなさ


 「静か」
 「だれもいないんだ」

 学校の敷地内の礼拝堂は、学校のにぎやかさをよそに、いつもひっそりしている。

 平日の放課後は、それでも聖書研究会があったりして、たいていだれかがいるものだが、その日は、めずらしく人気もなかった。
 さっきの通り魔さわぎのせいもあるのかもしれない。

 あのあと、生徒たちは学校から追い出された。寮生も至急寮にもどること、という話だったが、なんとなくそのまま帰るのもつまらなかったので、みぎわは幸ちゃんをさそって、こんなところまで来ていたのだった。
 首を切られたといっても、かるく引っかかれるていどの傷だったとかで、倒れていたというのも、じつのところ気分がわるくなってうずくまっていたところを見つかっただけのことらしく、生徒たちはそれほど大ごととはとらえていなかった。
 学校がわも、このさわぎを扱いかねているところがすくなからずあった。実害といえるほどの事件はひとつも起こっていない。

 木の長椅子に腰かける。
 ひとしきりページェントの配役の話をしたあと、幸ちゃんが思いだしたように言った。

 「みぎわくん、翠と知りあいだったの」
 「いや、今朝寮の集会でたまたまとなりに座っただけ」
 「そうなんだ」
 その声の調子に、すこしでも嫉妬がはいっていればいい、とみぎわは思いながら続ける。
 「でも――翠、さん、のほうはこっち知ってるみたいだった。名前呼ばれたから」
 「なんて」
 「だからとなりに座ってて、なんかのひょうしでこっち見て、『神崎みぎわ』って。さっきみたいにフルネーム呼んだの。で、なんですかって聞いたら『おかしな名前だ』って」
 「ふうん」
 「だからさっき音楽室にふたりで入ってきたから、おれてっきりあのひと幸ちゃんからおれのこと聞いてたのかと思って。クラスメート?」
 「あたし言ってないわよ」
 「そうなの」
 「あ、っていうか、名前くらいは言ったかもしれないけど、でも顔知ってるはずないし」
 「そうか、そうだよね」
 「だからあたしは逆に、翠がみぎわくんのことを知って――あ、でもそれはないか」
 「え、なんで」
 「名前確認したんなら知り合いってことはないわよね。むしろ、むこうが一方的にみぎわくんのことを知ってる、ってことになるのかしら」
 「やだな気もちわるい」
 「そう?」
 「だってこっちはぜんぜん知らないのに」
 「わかんないわよ。案外ひそかに思われてたりして」
 「いいよ、遠慮しときます」
 「翠タイプじゃない?」
 「そういう問題じゃないでしょ」
 「そう?」
 くすっと幸ちゃんが笑う。またこのパターンか、とみぎわはこっそりため息をつく。嫉妬されたいわけではないけれど、こんなふうにさらりとあしらわれてうれしいわけでもない。
 そんなようすに気づいているのかいないのか、幸ちゃんは視線を窓の外へやる。ステンドグラスを濁らせる雪と、建物に響く音。

 「――やまないわね」
 「ひどくなってるように見える」
 「そういえばみぎわくん、今朝たいへんだったんだって、窓」
 「ああ、うん」
 「ちゃんと直してもらわないと。これからもっと寒くなるのに」
 「うん。――幸ちゃん」

 なに? と振りむいた顔は、いつもとまったくかわらない。
 すっと体をちかづける、と、その半分くらい、身を引く。その腕にそっと手をかけて、向きあうようにする。もう片方の手を、耳の横にあてる。

 「みぎわくん」
 「なに」
 「‥‥そんなこわい顔しないで」

 また幸ちゃんが笑う。
 じぶんではじぶんの顔は見えない。そんなあたりまえのことが、こんなにこわい。鏡でじぶんを見るよりも、もっと近い距離で相手に自分の顔を見られていて、おなじようにじぶんも、相手の顔を見ている。
 間近で見る幸ちゃんの顔が、ほんの一瞬、泣いているように見える。もっとよく見ようと、さらに近づいて、ほほにかかる髪をうしろにはらう。ぴくっと幸ちゃんが首をすくめる。
 そのまま片手を、ほほにあてたまま、幸ちゃんの顔を上にむける。ややあって、幸ちゃんがみぎわの腕を、なだめるように二、三度たたく。親が子をなだめるように。
 そうして、目をとじる。

 幸ちゃんとキスするのは、はじめてではない。

 おずおずと、幸ちゃんの両手がみぎわの背にまわってくる。抱きしめるというより、そうやってじぶんの体をささえようとしているように、ほんのすこし体重をかけてくる。みぎわも幸ちゃんのからだをしっかり抱きかえす。いいにおいがする。


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