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下書く。 | 2011/08/01 | |
下書き用スペース。増えたり減ったりするかも。 それが人の声だと、最初は気がつかなかった。 とても細く澄んだ音。それほどでも大きい音というわけでもないのに耳にするりと届いてきたそれを、はじめは何かの信号音かと思った。音量も音質もあまりに安定していて、まるで人間味というか声っぽさがなくて。 けれどいったん止んだその音がまた鳴り出してしばらくして、音色がふわりと変化した。いや、母音が変わった、そのことに気がついて初めて、ああ、声だったのか、いや歌か、だれかが歌っているのか、と、ほとんど反射的にゴーグルに手をかけて外そうとしたそのとき、斜め後ろからやわらかな声がかかった。 「やっぱり無理? まだ二十分経ってないけど」 「あ、いや、え、と、じゃなくて」 福祉施設でボランティアをしている従兄の征永から、二月後に開催を予定しているイベントの実験台になってほしいと言われ、バイト上がりに訪れた僕を待っていたのは箱に乱雑に入れられた様々な眼鏡やゴーグルだった。そのうちのひとつ、白い綿を貼り付けた水泳用のゴーグルを手にとりながら、五年ぶりに会う従兄は、ひさしぶり、と笑った。 地元の小中学生を対象に、様々な障碍を疑似体験するイベントを行うのだという。視力障碍の疑似体験コーナーを任されたという彼は、さまざまな見え方を再現するために水泳用のゴーグルに細工を施したものをいくつも作っていた。 それでね、卓には悪いんだけど‥‥暗所恐怖症、まだ治ってない、かな? 申し訳なさそうに言う従兄の指は、白い綿を貼ったゴーグルをくるくるといじりまわしている。視界が白くて、明暗は判別できるレベルなんだけど、やっぱり見えないと怖いかな。 「光が感じられるなら‥‥大丈夫、かも」 小学校の低学年くらいまでの僕は、自分でもいやになるくらい神経質な子供だった。想像力が旺盛だったのか、トイレの壁に落ちる影が人の形をしているように見えたり、天井の微妙な模様が襲いかかってくるように感じられたり、そのころの僕のまわりは恐ろしいものだらけで、隣に住んでいたこの従兄の後ろにいつも隠れてべそべそ泣いていた。 |
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